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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

サステイナブルファッション

ひょんなことから「サステイナブルファッション」という単語を知った。環境省の解説に目を通したが、普通の人にとっては「服を買わないこと」がサスティナビリティを上げる一つの方法(しかしメジャーな方法)という印象を受けた。アパレル業界がすっかり悪者&斜陽産業に。時代が変わったとはいえ、大丈夫か?

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しかもなお悪いことに、着なくなった衣類をリユース、リサイクルするだけでは到底解決しえない問題が隠れている。そもそも消費者の手に渡る前の問題の方が大きいのだ。

大量廃棄社会 アパレルとコンビニの不都合な真実 (光文社新書)、仲村和代 (著), 藤田さつき (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E9%87%8F%E5%BB%83%E6%A3%84%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%8B%E3%81%AE%E4%B8%8D%E9%83%BD%E5%90%88%E3%81%AA%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BB%B2%E6%9D%91%E5%92%8C%E4%BB%A3/dp/4334044050
(↑この本、目次と最初と最後を立ち読みしただけで、買っていない。すみません)
売れ残って不良在庫と化した新品の衣料品は、誰にも着られることなく裁断されて廃棄されるとのこと。値崩れを防ぐため。ホラ、白菜の出来が良すぎたので収穫せず畑で腐らせて肥料にする、はよく聞く。これと同じことが衣料品の場合でも起こっている。腐るわけでもないのに。
衣料品の場合、農産物よりも圧倒的に大きな環境負荷がかかっているぶん(農産物生産より繊維生産の方が集約的産業だから、当然環境負荷も大きい)、たちが悪い。一度も本来の役目を果たすことなくゴミになることの虚無感、罪悪感が農産物より大きい。品質が悪くなって本来の目的を果たせなくなるわけではない、それなのにゴミになる。おかしいことは誰でもわかる。
しかし、この解決方法は、存在しないと言ってもよい。消費者が流行を追っておしゃれをしたいという気持ちがある限り、在庫&廃棄覚悟でアパレル業界は服を多めに作るから。多めに作ることで縫製に携わる労働者の仕事をつくりだし、ちゃんと給料を払えている、という現実もある。
大量生産の服を否定すると、100年くらい前に逆戻り。いわゆる「吊るし」の服は店頭になく、一点一点オートクチュール。聞こえは良いが、服が全て注文生産になり、値段が今の10倍くらいになる。自分でやってみるとわかるけれど、服を1着(だけ)作るのは膨大な時間を取られる。注文服を仕立てるにはそのくらいお金をもらわないとやっていられない、少なくとも日本では。
同じ機能なのに今までの10倍くらい高価な服、そんなにお金を掛けられるのか?そして、選択の余地がないことを許容できるのか?注文服って、キャンセルできない。出来上がって初見で気に入らなくても、それを着なければならない。
この2点が許容できる人はそう多くないから、この問題は簡単には解決しない。書いていて暗澹たる気持ちになってきた。