Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

なぜ共働きも専業もしんどいのか 主婦がいないと回らない構造

中野円佳=著,PHP新書
仲野さんの文章はジャーナリステックなのに前向き.素直.事例が多く読みやすい.
(あれ,ということは,普通のジャーナリストの文章は私的には「文句ばっかり言って後ろ向き」「読みにくい」と認識しているということか!うわっ)
今,日本の子育て世代って,過渡期である.ひしひしと感じる.2000年代半ばの「真の」均等法世代が就職し,結婚し出産するようになって立ちゆかなさが顕在化してきたということだ.
書籍タイトルへの答えは,「共働き世帯は,とにかく時間の余裕がなくてへとへと,子どもと十分に向き合えていないのではないか,という自信のなさと罪悪感(p.38).一方で専業主婦は子どもと向き合いすぎてへとへと,働いていない罪悪感」でどちらもしんどい!うわ~なんだこの出口のない感じは.

レンタルDVD店に行って感じたこと

というわけで,かなり久しぶりにレンタルDVD店に行ったわけだが,数年前と比べて明らかにイケてない,と感じたお話.
だってDVDが選びにくい!
なんじゃこりゃ~と思ったが,並んでいるタイトルが日焼けしていて,読めない!私は自称映画ファンで,システマティックに映画を観ているほうだと思うのだけれど,タイトルが読めないと,すでに観た映画かそうじゃないかが分からないの.
そして,観ていない映画についても,タイトルを見ているとだんだん観たくなくなってくるの.日焼けのせいで判別しづらいのもあるけど,自分のためのレコメンドじゃないから玉石混交感がすごくて,だんだん疲れてきた,というのが理由.
もう,私たちヘタレになってきていて,Amazonに代表されるような「レコメンド」で選んでもらうシステムに慣れてきていているから,ああいう玉石混交の場では,相当のチャレンジ精神があるときでないと選べない,と,ハードルが高くなっているんだと思う.
これは,NetFlixやAmazonPrimeVideoに流れるわ~.
レンタルDVDのお店では,AIがレコメンドしてくれるんじゃなくて,本当に映画に詳しい人が,自分のために(人力で)作品を選んでくれるシステムが,あったらいいんだろうな.やはり,誰かと映画について話したいんだよね.でも,他人に自分の映画の好み(ある種性癖みたいなもの,○○めっちゃカッコイイから浸りたい~,というような感情ね)が知られるのも恥ずかしいから,うまくサポートしてくれる人.
あと,おまけだけど,ネットの映画の口コミ/感想って,いかがなものかと思う.読んじゃうとどんどん観たくなくなる不思議な代物.ポジティブな評価だったら「サクラじゃねーの」,ネガティブな評価だったら「あー,ホントにつまんないのかも」と,いずれにしても読んだだけでお腹いっぱいになっちゃうから.

花の影

陳凱歌=監督,1996年中国・香港合作
20世紀末,私は,中国映画と香港映画をトコトン観たくて,中国語,広東語を熱に浮かされたように勉強していた.
張 國榮(レスリー・チャン)との出会いは衝撃的で,「さらば、わが愛/覇王別姫」「君さえいれば/金枝玉葉」「ブエノスアイレス」で魅せたレスリーの顔はどれもリアルなのか夢なのか分からない,生き生きとしつつも儚く,こんな俳優がいるのかと怖くなったものだ.
花の影」,これもずっとずっと観たかったが,レスリー自死し,なんとなくその後,彼に向き合うのが怖くなったー,というのが本音で,あっという間に十数年.でも,この度の香港の市民デモを見ていて,レスリーたちが見ていた香港の空気にもう一度触れたくなったので,DVDレンタルで選んだ.
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1997年に中国に返還されるまでの香港.時代の流れに翻弄されつつ,人間らしく正直に生きる人々が,名実ともにすごい”密度”で暮らしていた香港.あの熱気がピタリと1990年代の香港映画に保存されているのであった.私はそれが大好きで大好きでー.その熱を,21世紀になっても,いつまでも大事にしてほしいから,香港市民の活動を応援しています.
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で,「花の影」.レスリーまさに全盛期の映画で,お肌ツヤツヤ♡.クリストファー・ドイルのカメラにしては,落ち着きがあった(ただし色彩は抑え気味で暗い).鏡の使い方,ものすごい上手ね.
1920年代.蘇州の大富豪の家”江南ロウ(まだれに龍)家”が舞台なのだけれど,若旦那さまの目がうつろ・・・そう,アヘン!!若旦那様に嫁いだ姉を追って忠良(レスリー・チャン)もその富豪の家にやってきた.もう,姉さんもアヘンに毒されまくっている夫をサポートすることが生活の中心になっているから,色々おかしい....
精神的にちょっとおかしくなった姉の仕打ちに耐えられずその家を出た忠良.彼は長じてイケメンになり,なのに,姉の影響か女性を愛せなくて,上海でジゴロに.ジゴロでも,かなり悪質で,お金持ちの人妻に言い寄ってだましてお金を奪う組織の手先というわけ.相手が本気で愛しちゃうと,そりゃあ大変なことに.
そして次のミッションはロウ家の若旦那の妹・如意(コン・リー)に言い寄ることであり,あんなに憎んだロウ家に里帰りする忠良.姉の現実,斜陽のロウ家,乗っ取りと企みを目にする.そして如意が当然のように忠良を好きになるよねぇ....その後二人がどうなるかはここには書かない.
退廃的で甘美な描写,で定評のある映画なんだけど,最後の,とうとうアヘンに毒された如意の表情が印象強すぎる.「アヘン,怖っ!!」という感想しか残らないくらいインパクトあった.

の・ようなもの

森田芳光=監督,1981年日本
秋吉久美子伊藤克信
70年代最後くらいの,落語修行する若者たち,ソープ嬢落研の女子高生の素顔を描いた群像劇.もうなんとも言えないユルさ.肩の力が抜けた,それでいてスタイリッシュな映像である.主人公の落語家二つ目,志ん魚(しんとと).演じた伊藤克信さんの棒読みは最初「?」なんだけど,だんだんリアリティを感じてもう,ドキュメンタリー!?と思ってしまうくらいの迫力があった.伊藤さんは,今でいうとジャングルポケットの斎藤さんのような風貌で,確かにモテそう.
あの時代の若者って,まじめに,がむしゃらにやるのはカッコ悪いってのがあったと思う.「ケーハク」(←敢えてカタカナ)でわざと今の自分に向き合わない.それが葛藤になるのだけれど,その雰囲気がとてもとても共感できる形で描かれていた.
主人公は23歳.この映画,私が23歳の時に観たとしたら全然共感できなかったと思う.ソープ嬢と付き合ってて女子高生ともデート,気持ち悪っ!って思っただろう.今は違う感想で,落語家の卵たちの他愛のない会話が切ない.自分を直視するのを避けていて,その一方で内面にひりひりするものを抱えている・・・ああ切ない!でもこの映画はそこを軽く描いて進んでいくのよ.温かくもあり淡々していて,そこがオシャレ感を出しているのかなあ.
今見ると貴重な映像.まず,若いころの関根勤(当時はラビット関根),小堺一機,彼ら,若いころからいい顔してたな~としみじみ.リアルタイムで見てたけど,改めて見るのもよいものである.内海桂子内海好江も必見(キャラ変わってない(笑)).そして三遊亭楽太郎(今の円楽ね).当時から有名だったと思うけど,この映画でも売れっ子の若手落語家役で,マンモス団地の駐車場にてマイクを持って地元の店のコマーシャル(その団地の住人だけが聞けるラジオの生放送).秋吉久美子もとにかく可愛い.
東京下町の,人の気配がこれでもか!と感じられるあったかい風景も貴重映像と言えるだろう.当時の団地にはとにかく人がたくさんいた.ラジオカーが来ると,人が,それも主婦と子どもが,わんさかうじゃうじゃ出てくるの.私も団地に住んでいたから分かる.
墨田区あたりだろうか,商店街の装飾がにぎやかなこと.都電荒川線東武伊勢崎線堀切駅・・・この2つは今もそんなに変わってない.東武伊勢崎線始発が朝靄の中,浅草駅を出発.この風景も車両の型式が違うのを除けば,そんなに変わっていない.
女子高生の”彼女”の父親から落語をけちょんけちょんにけなされた志ん魚は,終電がなくなって堀切から鐘ヶ淵,隅田川を渡り浅草の下宿に歩いて帰る.そのロードムービー感たるや.私も東武伊勢崎線ユーザーだったり,曳舟で家庭教師していたこともあり,東京のこのあたりの雰囲気は大好きで,都内随一だと実感している.例の「うんこビル」に建て替わる前のアサヒビール工場とか「昔こうだったのか~」と風景に目を奪われる.そんな夜の街で一人,「道中づけ」をする志ん魚さん.道中づけとは,歩きながら見える風景を落語の口上よろしく描写していくこと.これが,志ん魚さん妙に上手いの.さっきお父様の前で披露した落語は何だったの,ってくらい上手いの.下町だから川が多くて橋を渡る回数も多いけど,橋の上を歩きながらの道中づけ,素晴らしい構図だった!そういえば,この切り取り方「3月のライオン」ぽい,もちろん時代は違うのだけれど.
最後は,先輩落語家の志ん米が真打昇進ということでお祝いの宴(水上ビアガーデン)のシーン.志ん米を演じた尾藤イサオがエンドロールでパッと微笑む,そんな劇中劇感も,ふわふわさせてくれた.
ああ,Viva東京!Viva若者!ってことで,しんとと,しんとと.

他人の書いた論文の,他人の取ったデータをもとにデータ解析

科学者の中にはよく,「他人の取ったデータは信用ならない」という人がいるんだけど,これからはそうも言ってられなくなるんじゃないか,というお話.
自分でデータをすべて取るのは,研究費も少なくなってきてるし,しょせん自分の出せるデータは限られているから(そのデータを何に使いたいかにもよるが)限界がある.もっと,他人の取ったデータ,例えば国の統計とか観測値とかを使って,自分のオリジナルな解析をして,論文を書く習慣ををつけたほうが良いと思う.
こう思うようになった理由は,一度取って,論文になったデータが,その後全く活用されてないから(たとえば,環境中の化学物質濃度データとか).死蔵そのものだ.
ビッグデータ時代で,そんなデータの「お里」なんて知らなくても数ありゃ何とかなる!って思っている人も多いけど,解析に一番大事なのはデータクリーニングですよ!(何でもかんでもあるデータ放りこんで,という解析で何か言えたとしても,それは何も言ってないのと同じだからデータの素性をつかんでおくのは大事!)だから,人のデータと仲良くするスキル大事だと思うんだよね.
そのために,人のデータを読み解くリテラシー「どんな条件で」「何を知りたくて」「何が測れてなくて」というのを書誌情報から読み取り,Aには使えるけどBには使えない,という判断ができないとだめだと思う.しかし,こういう教育は博士課程でもしないような気がする.データの取り方(実験器具のセットアップ)と解析方法しかならわないよね.このデータで言える限界,という観点での教育は受けたことない・・・気がする.

ラガーン

アシュトーシュ・ゴーワリケール=監督,制作:アーミル・カーン,2001年インド
めっちゃ面白い!!
アーミル・カーンって,きっとスポコンものが好きなんだね.クリケットのチームを作るときに,一人一人仲間を増やしていく(まるでプリキュア).説得と友情,インド映画にもこういうのあるんだなぁ.この設定は2001年当時としてはかなり新しかったのではないだろうか.
ラガーンは,ヒンディー語で「年貢」という意味.
舞台は19世紀末,ヴィクトリア朝時代のイギリス領インド帝国(たぶん,デカン高原パンジャーブのどっちか,って言ってた).その地は,イギリスとインドの王様(領主)が半々で治めていて,農民は当然,年貢を両者に払わなければならない.その年は干ばつで全然作物が取れない.イギリス将校が悪い奴で,王様を侮辱するような無理難題を吹っ掛け,その無理難題を聞き入れなければ年貢を前年の倍にすると.それは困った,と農民.直談判に出た.将校は「クリケットで農民チームが私たち(イギリス人チーム)に勝ったら3年間年貢なし,その代わりに負けたら年貢2倍」という条件を出した.これはズルい!なぜなら農民たちはクリケットのルールを知らない,そもそもやったことがないからだ.イギリス将校たちはインドに来て(暇なもんだから)毎日クリケット三昧なのにー!アーミル・カーン率いる農民チームは,イギリス将校の妹の手助けを得つつ,仲間との友情・信頼をキーワードにクリケットの練習に励む.最後はどちらが勝つのか?
お約束すぎるストーリーだが,めっちゃ面白かった.まず,クリケットのルールを知らなくても楽しめたことが良かった(ルールはだんだんわかってくるから大丈夫).将校の妹が最初全然ヒンディー語喋れないという設定だったのに1週間くらいで急にうまくなっているとか.一人一人仲間を増やしていくプロセスも興味深くて,それぞれ捕球の名手,送球の名手,走塁の名手など,秀でている才能があって!最後にはアンタッチャブルを仲間に入れるんだが,案の定反対意見が根強い,どうやって皆を説得するかとか.そして裏切り者(スパイ)が密告,しかし最後には和解し…とかもう少年ジャンプの世界だ!でもなんだかんだでアーミル・カーンがモテモテとか(笑).
この映画,220分と長いのでダンスシーンでは適宜トイレに行ったり,自分も歌ったりして,余裕をもって楽しみましょう!ってところです.

性別の表現が多様だ(メモ)

最近答えたアンケートの選択肢をみて,性別が5択になっていることを記録しておこうと思った.
「Non-binary/third gender 」が包含する範囲が広いのは特筆すべきことだね.日本語だとどう言えばしっくりくるのだろう?
「Prefer to self-describe」は,従来「others」でひとくくりにされていた部分を温かい表現に言い換えたものらしい.
インクルーシブ,インクルージョン,とはよく聞くけど,「理解しやすく」「誰もを包み込める」表現ってなかなかないものだなあと思う次第.
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Q:What is your gender?
A:
Female
Male
Non-binary/third gender
Prefer not to say
Prefer to self-describe
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