ホウ・シャオシェン(侯孝賢)=監督、1985年台湾
エドワード・ヤンの牯嶺街少年殺人事件と、背景がそっくり。食い入るように見た。
1947年、主人公のアハ(本名は阿孝であるがあだ名。おばあちゃんがこう呼んでいたことに由来)は中国広東省で生まれ、2歳で台湾に。こちら、侯孝賢自身。くしくも、エドワード・ヤンも同じなんだね。アハはごく普通の元気な少年、中学に入ると多少ワルのグループに。でも病気の父を思い、愛情たっぷりの祖母の手伝いをしつつ少年から青年へと成長する。
アハの父は、広東省梅県で教育関係の仕事についていた。先に台湾に渡っていた友人から台湾教育省の仕事があると言われ、ちょうど共産党が台頭してくるのを避けるように49年に家族とともに移住。最初台北へ、台北は「湿気が多く」喘息になってしまったため、南部の鳳山に移る。
アハの母は大陸では教師をしていたが、台湾移住とともに仕事をやめ、仕立ての内職をしているらしい。
アハの祖母は客家語しか話せない。大陸に帰りたがり、日がな神銭(死んだとき棺桶に一緒に入れてもらう飾り)を作っている。少しずつ認知症に。
アハのきょうだいは、姉、兄、弟2人。しかし、画面には兄弟同様育つ男の子も映るから、誰か預かっていたのかもしれない。
ストーリーは、そんなアハの成長譚。一言で言うと地味。取り立てて大きな事件はない。初恋は実らないし、ワルの友人たちは喧嘩ばかりだし(アハの父が大事にしている日本刀を差し出すシーンがある)、担任の先生には嫌われる。姉は結婚して家を出て行ってしまうし(でも母の面倒は引き続き見ている)、弟は軍に入りたがるも失格になる。そんな、淡々とした日常が言いようもなく愛おしい。
牯嶺街~と同じく、「外省人の台湾感」が色濃く出ていて(アハの父の生きざまや大陸に帰りたがる気持ち)、胸を打たれる。一方、40年代後半や50年代に台湾で生まれた若い世代は共産党支配の中国には全然興味がない、この世代間ギャップも見どころ。それを後押しするように台湾が、少しずつ豊かになっていく。田舎の高雄ですらも、60年代だろうか、電気が通る。ただ、炊事は家の外で(ガスがないから)火おこしが必須。炭で湯を沸かす、1960年代半ばの台湾もリアリティがあった。
台湾は大陸に比べて、先進的で住みやすかったんだろう。1940年代「水道があるから」の一言で台湾への移住を決めた、というのも興味深かった(大陸には水道がなかった、ということ)。
家が日式で、アハの暮らす家は畳、ふすま、押し入れがあり、引き戸の桟が日本のデザイン。懐かしくて、「小津安二郎かよ!」。生活様式もなぜか日本風で、ご飯茶碗を左手に持って食事をしていたので、そこまで日本風だったの?!と驚き。