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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

モダンガール論

斎藤美奈子=著,文春文庫
数年前に読んだけど,長女(11歳)に薦めて,もう一度読みたくなったので読み始めた.奇しくも自民党の「女性手帳」なる珍提案が出る前日のこと.
女性手帳って,何なんですかね.折しも,長女が4年生の終わり頃に初潮教育なるものを受けてきて,母子保健協会(だったかな)監修の小冊子をもらってきた.それの子宮頸がん予防ワクチン版なんですかね.
「モダンガール論」は,女性の仕事と生き方を考える人,政策を考える人全て必読ですよ.些細だけど実は一番重要なことは欲望ってことがわかります.国の政策も,欲望を刺激するようなインセンティブをつければうまくいきやすい,ってこと.
何気なく読んでいたら,今,理系女子が文系女子にくらべてなぜ少ないのかのヒントになる記述があった.
時は明治末に遡る.そのころから大正にかけて爆発的に増えたのが女学生.高等教育を受ける女子が増えたことはとても喜ばしいのだけれど,その女学校のカリキュラムが,”文系偏重”だったのである.

男子が通う中学校のカリキュラムと比較すれば,差は歴然としている.まず中学校は5年,女学校は4年,という修養期間の差.科目もかなりちがっている.週あたりの授業時間数が同じなのは「歴史」「地理」「図画」「体操」だけ.中学校の「国語及び漢文」「博物」「物理及び化学」は,女学校ではそれを薄めたような「国語」「理科」におきかえられ,(中略).さらに女学校だけの科目として「家事」「裁縫」「音楽」が設けられていた.(中略)近代女性としての教養は必要だが,夫以上に教養があっては困る.そんな微妙なサジかげんが,このカリキュラムにはあらわれている.(文春文庫p.31)

そうだ,これだ.そもそも女学校では理科の授業時間数が少なく,内容も手薄.とすると,女学校からたとえ上の学校に行ったとしても,中学校でバリバリ「博物」「物理及び化学」を習ってきた男子とは互角に戦えないのだ.女子を対象とした理科の受験予備校なんて当時あるわけもない.ということで,必然的に理科を専門的に学ぶものは男子が圧倒的に多くなる.(男子は)当然,その専門技術を生かした就職先につくだろう.大正や昭和の初め頃はエンジニアというと男ばっかりだったはずだ.
時代が30年くらい下った,その女学生の子世代はどうだろうか.その世代では,授業時間数は男女同じになっていたかもしれないが,理系の職業に付いている女性がいない.いないはずだ,その分野の専門教育を受けた女性が少ないのだから.ということでイメージがわかず,進路として選ばない,ということになる.
決して女子は先天的に理系科目を好まないのではない.文系に行きやすいように構造的に作られているのだ.
だから,理系女子を増やす処方箋は,非常に平凡だが「周りを気にせず,親のいうことも適当に流して,自分の進みたい学部に進学すれば良い」ことになる.そして「○○の女性第一号」とか言われても「ハァ?」とか心のなかで呟きながら,笑顔で学業に励み,仕事をすれば良いんだよね.そうすればだんだん増えてくるよ.