Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

プラレールから理系女子について考える。

プラレールはかなり高度な遊びだ。
4歳の長男とプラレールを組み立てた。彼は電車を走らせたいだけだから設置は当然私の仕事となる。こういうところで技術者魂が出て、家にあるレールを全て使って設置してやれとチャレンジングな目標を立てて建設を開始した。しかし、曲線レールが多いため、大きくジグザグして挙げ句の果てに輪にならない。レールによって曲率半径が微妙に異なっている。レールの素材自体は多少の柔軟性があり、無理矢理押し込んでもつながることはつながる。でも、材料も痛むし、それでは大人のプライドが保たれない。エレガントな鉄道計画じゃないと。・・・がんばったけど、結局何本かのレールを使わないことで決着。
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それにしても、こういうのに小さい頃から親しんでいると、システムの考え方は自然と身に付くかも。始点と終点、循環、分岐。制約条件。そんなに難しい次元じゃなくても、レールが長すぎると系が閉じない、あのorzな感覚。理系に進んだ人を分析してみると、小さい頃からのこういう遊びに費やした時間が有意に長いと思うよ、こんど調査してみたいなあ。だから、理系女子を増やすにはプラレール女の子バージョンとか、タミヤ車作りキット女の子版などを売り出せばいいのでは?(え)
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理系女子を増やそうと巷で動きがあるけれど、なぜ文系を選ぶ女の子が多いかということを、ふと思う。進路の決定には小さい頃なにをやったかが、すごく重要だということ。男の子のほうが車輪モノのおもちゃで遊んでる割合が多ければ、機械工学に男の子がたくさん行くのは当たり前の話だ。
私は数学も物理も全然好きじゃなかったけど、洋裁が好きだったこともあり、自分で型紙を起こすのに三角関数を使ってみたり(実際はほぼ経験則で事足りたが・・・)、鞄のポケットの位置をモーメント的に考察したり(ポケットの位置が高すぎて、かつ重いものをうっかり入れてしまうと、鞄が逆さになる、使えない鞄をつくったことがあった)、こういう体験があったので何とか大学受験までは乗り越えられた。それ以上は、電気とか素粒子とかに興味がなかったので、ほんと、苦痛で苦痛で。何とか今もって理系の道にいるけれど、今も物理は好きじゃないし、数学は全然できない。
化学と生物は先生に恵まれたのと、色が綺麗とか顕微鏡写真が素敵とかのビジュアルの魅力にハマってオタクになった。そんな高校の頃の楽しかった経験がなければとっくに文系だよ。結局、物理や数学の感性がなければ化学でも生物でも発展がないから、つらい思いをすることがある。
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今、玩具売場で隆盛を誇っている、”お菓子づくりサポート玩具”に一言。これは、女の子を将来理系に進ませる大きなチャンス。入り口としては完璧なのだから、マニュアルを一歩出た、科学の探求要素が加わるとすごいと思う。たとえば、クッキーを作るのだったら、砂糖の加える量を10g(欲を言えば1g)単位で変えてみると出来上がりが雲泥の差、とか。バターの量でガレット風からビスケット風へと強度が変わるとか(学生の頃、コンクリート構造実習ってあったなぁ)。