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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

池田三郎「リスク学とレギュラトリー・サイエンス」

日本リスク研究学会誌 13(2):34-37(2002)
論文を「読書」とはいえないが...一部気になったところを引用する.
さて,この提言がなされたのは10年前.10年間,我々はこの問いに答える研究をしてきただろうか?常に問い続けなければならないのでメモ.

何故,リスク学の専門家職能集団においてリスク学,リスク分析の多元性ヘの対応が不足しがちであるのか,市民や消費者が必要としているきちんとした研究なり情報なりを出せないのか,そのような対応が本質的に難しい理由として,幾つか挙げることができます。まず最初に,多くの新しい技術や環境リスク問題では,不確実性の検証が,実質的にできないという不完全モニタリングの問題があります。つまり監視が不完全でかつ誤りがあるので,リスクの性格に応じて,例えぱ,消費者危険を避けるのが主であるべきか,生産者危険を主たるべきか。あるいは両者のトレードオフをとるべきかについて,つまリ,疑わしきは罰するのか,あるいは疑わしきを罰しないのかと,そういう規制」問題ヘの的確な情報を出せないことが多くあります。「リスク」が顕在化して,後で,その因果構造が確率的に現実となっても,事前に,その兆候をその他の多くの情報の中から検出できてきたのか,多くの課題を抱えています。
それから,モラール・ハザードの問題,ただ乗りの問題,情報の取得や接近の非対称性の問題があります。情報を獲得するための費用と機会に非対称性が常に存在します。そこでは,すべての人がリスクを避けるようになったり,逆にリスクを取るようになったりすると,科学技術の進歩や社会の発展ににさまざまな弊害が起こります。つまり両者がうまくバランスできるのか,あるいは,両者を許容し,画一的なリスクの規制を避ける社会じゃなきゃいけないのか。さまざまなタイプのリスクに柔軟に対応し,かつ多元的な社会にも対応するような「リスクのレギュレーションのサイエンス」というのはどうやって作るのか,これはまだわかりません。それから説明責任の未整備,その他さまざまな問題があります。こういう問題をある程度,いわゆる専門家,特に政策科学の面での研究者がこういうことに関する回答を少し出さなきゃいけないということになります。