副題:マイクロプラスチックの実態と未来予測
磯辺篤彦=著、化学同人
海洋モデルも河川モデルでも何でもそうであるが、普通の移流拡散モデルは、粒子の挙動や物質の偏在を表すのが極端に苦手なんだなー、という当たり前のことが感想として出てきた。希釈、拡散といった現象に、動きにくさをある一定の部分だけ組み込む、しかも恣意的じゃなく組み込むとしたら、膨大なデータがいる。
(マイクロ)プラスチックに選択的に化学物質が吸着されて、拡散で薄まることがなく(マイクロプラスチックが化学物質の高濃縮担体となるようなイメージ)、さらにそのようなマイクロプラスチックが海の中でも偏在するという点に警鐘を鳴らしている。おそらく、リスクはそこしかない。これが実際に起こっているとすれば、私だって確かにいやだな。そのような非拡散効果を入れ込んだ海洋中PCB濃度マップとかは描けないもんかね。偏在していたとしても、十分濃度が低いことは十分考えられるし、高濃縮担体だけを選択的に魚や鳥が摂食する確率は低いと考えられるから。
P.61些細なことであるが、レジンペレットをえさに混ぜ、海鳥に与え続ける実験が、倫理審査を通ったのかは気になるところである。。。
P.146 間違いを発見。表5-1のタイトルは「国別廃棄プラスチック重量」ではなくて、「国別不適切処理プラスチック重量」か「国別海洋流出プラスチック重量」ですね。廃棄、だとこんなに少ないわけないじゃん!と思ったので元データ確認した。原文では"Mismanaged plastic waste in 2010" (Jambeck et al., 2015)となっている。
この論文 (Jambeck et al., 2015)では、先進国の海洋流出プラスチック量は”% Littered waste”でほぼ決まっていて、この数値が2%に固定されている。この数値がおかしいという議論がないことをもって、著者は「この結果が研究者に受け入れられている」、と書かれていたんだが、これは数字が真実であることとは別では?この数字を前提にしてものを言ってよい、というロジックには違和感があった。
ちなみに、大阪湾にレジ袋が300万枚沈んでいる、というデータから考えると、大阪湾に1年で300万枚捨てられたとして、流域人口2000万人、一人年間300枚レジ袋使用、と”% Littered waste”が大きく出る前提条件を使って計算しても、0.5%がMaxではないか。
「すべてを燃やすことは難しい」し、「かといって、リユースやリサイクルだけ進めれば、社会に出回るプラスチック製品が増えて、結局は1%の量も増えてしまう」(P.148)のは本当に同意する。少しずつでも総量を減らす、その手段として、こちらの意思と関係なく自動的に配布されるワンウェイプラスチックを減らすべき、は異論がない。レジ袋やプラ製カトラリーは、必要なら買えばよいのだから。
生分解性プラスチックは、私もPHB生産細菌を排水処理系で飼っていたこともあり、技術的な魅力と限界を知っているけど、大量に使っていくのは反対。分解してほしいタイミングで、完全にCO2にまでなってくれるか?「まだボロボロにならないで~」って時に分解を始め、機能を保たなくなったりする一方で、環境中ではほとんど分解しない、とすれば、相当用途が限られるだろう。少なくとも、そんなプラ容器があったら私は使うのは嫌だ。それだったら、生分解しないプラスチックを「使用後は絶対に環境中には出さないんだ!」という意気込みで使った方が気が楽だ。
話は変わるが、高校の同級生でラグビー部、F君のFacebookを偶然読んでしまった。彼は今フランス在住らしい。そこには「日本人は、たかがごみを捨てるのに人生の貴重な時間を使いすぎている」と。ひえ~っと思ったがF君のいうことも一理ある。ゴミ分別をシンプルにして、プラか燃えるごみかで迷ったら、後ろめたくなく「燃える」にポイっとできる世界の方が健全だと思うんだが。
廃棄物を焼却することは、廃棄物の滞留時間が、埋め立てよりも短いということ。途上国を見ていると、廃棄物が廃棄物として存在している時間が長いほど、廃棄物の環境流出が大きいと直感的に思う。廃棄物を(焼かずに)ストックヤードに「適切に」貯めておくのは、日本でも相当難しいから。そういう意味で、廃棄物の焼却比率が高いことは海洋流出ごみを減らす一つの手段になっていると考えるのだが、どうだろうか。