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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

マイクロプラスチックは、なぜ「マイクロ」というのか

いまさら取り上げるのは不勉強を露呈していることに他ならないのだが、マイクロプラスチックについて。
サイズが5㎜以下のプラスチックをマイクロプラスチックという、と定義づけられていて心底おかしいなあ、と思っていた。
これって、「ミリ」プラスチックで、マイクロじゃないじゃん!
ヒトの肉眼で見える粒子は、光学顕微鏡の原理を知るとわかるけれど、どんなに目がいい人でも100μm程度が限界。あまり眼が良くない私の場合、そのブツが何か(木なのか、繊維なのか、プラスチックなのか)を同定できる大きさは大体300μm程度まで、それより小さいと無理だ。以前、プランクトンや大きめのバクテリアを肉眼と顕微鏡で同定していた経験があるので、こんな相場観がある。

今日聞いた話、マイクロプラスチックは、なぜ「マイクロ」というのか。
サイズがマイクロだからそう名付けられた、というわけではないことが分かってスッキリした。
microscopeで観察すべきプラスチック、というのが原義だったらしい。2004年ごろ発行された論文でそのように提唱されたようだ。文献情報はこちら。
Richard C. Thompson et al. ,Lost at Sea: Where Is All the Plastic?.Science304,838-838(2004).DOI:10.1126/science.1094559
https://www.science.org/doi/10.1126/science.1094559

つまり、「科学的にものをいうには顕微鏡microscopeで観ないとだめよ、という大きさのプラスチック」がmicroplasticとなり、そのままカタカナになってマイクロプラスチック、なんだって。
何事も知ったかぶりはダメだ。
だとすると、ここにきて今一度、マイクロプラスチックの定義を再考しても罰は当たるまい。


プラスチックと言っても、分解性が高いポリマーと、ポリマーを縄綯いしたような繊維と、固形プラスチックがもともと細かくなっている(ビーズ状)のものと、固形プラスチックが削れて繊維状になったものとでは、環境中挙動も有害性(ここでは物理影響)も大きく違う。プラスチックの密度も注目ポイントで、密度で挙動が異なる。重い元素を多く含んだり構造が密だったりするものは密度が大きくなり、水中では沈みやすい。
これらをまず分けて考えること。

こうして分けてみると、環境中にあるマイクロプラスチックといっても、全部を懸念する必要があるわけではないとわかってくることもポイント。
さらに、環境中で測定できたものは「測れる範囲では」という条件付きで取り扱う、つまり実測値からわかることはほんのわずかである、と認識し、あまりマイクロプラスチックの実測値に引っ張られないことがポイントなんじゃないか。
今、マイクロプラスチックは、どこの海で存在量が多いかという議論があるけれど、海がきれいか汚いかというプラスチックごみの議論に持って行った方が有益。

マイクロプラスチック対策には発生源を定量的に明らかにすることがどうしても必要。だから、影響が大きいと考えられる発生源をいくつか取り上げて、その環境排出量を個別に推定する。完全に「推定」モードと割り切るのがポイントかと思う。
発生源ごとに見ていけば、「分解性が高いポリマーと、ポリマーを縄綯いしたような繊維と、固形プラスチックがもともと細かくなっている(ビーズ状)のものと、固形プラスチックが削れて繊維状になったもの」、各発生源がこれらのどれに属するのか、妥当な仮定をおいて決め打ちできる。ここが大事で、これ全部測って、マイクロプラスチック環境中存在量から逆解析していたら埒があかない。
あとは、各発生源の「環境排出係数」「摩耗係数」みたいな数値を、常識を取り込みながら決定していけばよいだけ。多くの文献調査が必要になるけど、実測(してわからなさに頭を抱えたり、こっちからも見つかった!と大騒ぎ)するよりずっとましである。