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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

レジ袋有料化の効果

レジ袋有料化から1年以上過ぎ、報道記事がちらほら。

NHKニュース
www3.nhk.or.jp

レジ袋有料化1年 辞退率7割以上 導入前の3倍程度に増加
2021年6月30日 6時49分
全国の小売店でレジ袋の有料化が義務づけられて1日で1年です。大手コンビニ各社によりますと、レジ袋を辞退する人の割合は70%以上に達し、有料化導入前の3倍程度に増えました。一方でレジ袋の代わりとなる家庭用のポリ袋の購入量は増えていて、プラスチックごみをどう削減するかが引き続き課題となっています。

有料化が義務づけられた去年7月以降の大手コンビニのレジ袋の辞退率は、セブン‐イレブンとローソンが75%、ファミリーマートが77%となっています。日本フランチャイズチェーン協会によりますと、有料化前の辞退率はおよそ25%で、義務化によって3倍に増えたことになります。
このうちセブン‐イレブンはことし2月まででおよそ8000トンのプラスチックごみの削減につながったとしていてレジ袋の収益はペットボトルのリサイクルのための回収容器の設置費用などにあてているということです。
またファミリーマートは、有料化の収益は、海洋ごみを原材料にした買い物かごを作る費用に充てています。

一方で、ごみ袋メーカーが行った調査によりますと、去年7月以降、レジ袋と同じような形をした取っ手付きのポリ袋の購入量が2倍以上に増えているということで、有料化がプラスチックごみの削減につながっているかどうかは不透明です。(以下略)

だけど、有料化の効果って何だろうね。

レジ袋のマテリアルフローは、計算できる。セブンイレブン「8か月で8000トンのレジ袋削減」(これ、結構大きい!)
セブン、ローソン、ファミマのシェアが2:1:1として、年間で24000トンのレジ袋がコンビニから配布されなくなった。これが年内にゴミ袋の形で廃棄されると仮定する。この量は焼却ごみになるから、プラごみの量と比較するのはホントはフェアじゃないんだけど。
日本で1年間に発生するプラごみが900万トン、そのうちレジ袋が2-3%程度として、18-27万トン。レジ袋有料化によって、コンビニ分だけだけれども、そのうちの、1割くらいのマテリアルフローには変化があった、といえる。マテフロ解析屋にとっては、1割の変化は大きいのだ。

もちろん、海洋に流出するプラの量はほとんど変化がないだろう。それどころか、コロナで使い捨て容器の使用量は増加しているので、プラの海洋流出量としては却って増えているかもしれない。
仮説だが、ゴミが集められて処理されるまでの退蔵時間が、ゴミの環境排出量と相関があるのではないだろうか。環境中にじわじわと出ていく量が「その辺にうっちゃられている時間」に比例している、という考え。途上国では顕著にそうで、オープンダンピングだと風に飛ばされたり、資源になる部分が抜き取られて残渣はそのままになってたり、というのが危ない。日本は、比較的即座に処理が完結してしまうので、この時間が短い。
余談になるが、昭和50年、広島市では収集されないゴミが路上に何日も放置された(ごみ非常事態宣言発令直前)。その時の写真はネットのどこかで拾えると思う。ゴミが放置されないで収集車が来てくれること、本当にありがたいことなんだ。そして、衛生面から見れば焼却は無敵なのよ。焼却の技術を高めることは、地球環境的に決して無駄じゃない。

で、政府に明確にしてほしいことは、レジ袋有料化の効果じゃなくて、意義。私も下記の点で意義はあったと感じている。
「ショッピングバックというサービスを無料で得ていた、これまでの方がむしろ特異。サービスにはきちんと対価を払うべき。無料だからと言ってずるずるともらうのが一番よくない。レジ袋が本当に必要ならお金を出してきちんと買うべき、という当たり前のこと、ようやくここにきて筋が通せてよかったと思っている。」
小泉進次郎さんにはこのくらい言ってほしい。もう21世紀、レジ袋くらいお金を出して買おうよ、と私は思っている。
そして、レジ袋有料化の目的は環境保全じゃないことを明言してほしい。なんでも安易に環境保全に結び付けないでほしい。そのあざとさ、市民はとっくに見抜いているよ。

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元々のメモ(201126 自分宛てに送ったメール)
・有料化により、今まで店側がコストを負担して無料で配布していたレジ袋を「価値付け」。
レジ袋=タダというライフスタイルの見直しを図る事が目的
大量生産大量消費の流れを見直し,タダでもらえるからと言って必要以上にもらっている(つい,甘えてしまう)現状のライフスタイルを変えること。
・「プラゴミ削減」は、副次的な目的。
・しかし多くの人が誤解している。