Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

在りし日の歌

ワン・シャオシュアイ(王小帥)=監督、2019年中国
監督の言葉がこちら。ただただ頷くしかない。

1949年以来、中国の成長と発展は国家の政策や社会制度と密接に関係し、激しく揺れ動いていました。『在りし日の歌』は時代の証であり、社会、家族、自分たちのアイデンティティの強烈な変化のなかで普通の中国の人々がどう感じていたかを表しています。本作で私は、現代から1980年代まで遡りました。経済改革の初期から現在までの変化を辿ることで、その大きな社会背景のなかで個人の暮らしがどのようなものであったかを再考したいと思いました。この物語の家族たちは、ここ30年間の中国社会の縮図を示しています。

久しぶりの、重めの中国映画。長く感じたけど、終わってからじわじわと風景画のように脳裏に浮かんでくる。
一人っ子政策と、わが子を想う夫婦。愛情があふれていなくても、反発しても、家族。この辺をじっくり見せてくれた。
子どもをいろんな形で失い、それでも夫婦寄り添って、大事な友人も亡くして、友人家族にも寄り添って。
でも思うよね、人生って何だろう、自分の人生なんだったんだろうって。

妻・リーユンの秘めた強さがよかったなあ。マギー・チャンみたいな美しい俳優さん。歳を重ね白髪が出てきたお顔も、きれいだった。

しばらく最近の中国映画を観ていなかったこともあって、その「映画」文法に戸惑いつつ、中国映画も成熟の時代に入ったなあと感じた。(ちなみに、最も最近観た中国【大陸】の映画はチャン・イーモウの「あの子を探して」だったから、実に20年前。ヤバい。アップデートせねば)
丁寧に描かれていた、ここ30年にわたる中国の発展、その変わりっぷりに、映画を観ただけでも驚いてしまった。。
先月観た「はちどり」は25年前の韓国が舞台だったけれど、同じようなノスタルジーがあった。

中国の近代史に詳しくないので、時代が行ったり来たりしても、なかなかぴんと来なかった。
しかし、1980年代~の中国社会の描写は、ほんとにおもしろかった。
私は1986年3月に中国(上海、蘇州)に行ったのだけど、蘇州の太湖周辺で見かけた小学生が、みな白いブラウス着て赤いスカーフをしている”小朋友”だったことを思い出した。小学生の服装からして、ちょうどそのころの設定だと思う。
増産、増産の中国国営工場で工員として勤務する夫婦。それが、改革開放、市場経済の波の中で国営工場の労働者も、なんとリストラされる。それもみんなの前で名前を読み上げるという血も涙もないやり方。
もちろん、二人目を妊娠していることがばれるとしょっ引かれる。私が小学生の頃、NHKのドキュメンタリー番組で見た中国(80年代半ば?)、病院の診察室の一つに「人流室」という表札がかかっていたことも思い出した。一人っ子成果に反した妊婦がここで人工妊娠中絶を受ける、というのは幼かった私にもわかって、衝撃だった。

地方都市、という設定で工場があったのはどこの街かはわからないけど、パオトウでロケだったみたい、雪も降る土地。南方から飛行機で行く、中国は広い。
夫婦は、出稼ぎで広州の方、なのかな、南の沿岸部の方に出る。「謝謝!チャイニーズ」で描写されていたような、改革開放、イケイケどんどんの雰囲気。出稼ぎ労働者の、工場を改造したような住まいのすぐそばには、ニョキニョキと高層マンションが。そこに不良少年少女がチャラチャラ遊ぶ描写が出てきて、高そうなバイク無駄にふかして乗り回って、中国も変わったな~と(中国人でない私でも感慨深いものがあった)。それでも不良少年少女たちにご飯の差し入れをするリーユン。こういう昔から変わらない行動様式の(人情味あふれる中国)、親世代のモヤモヤ感が描かれていて、無性に泣けたわ。
ご飯の話でいうと、食卓の真白い饅頭(肉まんの皮だけのやつ)。二人の”息子”の誕生日のケーキに「バラが乗っている」ささやかなぜいたく。南方の家の、あまり衛生的でなさそうな台所でトントンと刻む野菜。台所と食卓のシーンも見もの。