Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

祝・ノーベル賞で

大隅良典先生がノーベル医学生理学賞を受賞された!おめでとうございます.
何年も前から候補者に名前が挙がっていた方なので,ようやくか〜という感じもします.
ちなみに,なんでオートファジーなの?オートファージじゃないの?カタカナでファジーってfuzzy,この場合は意味的に食細胞のファージphageじゃん・・・と二十数年前に高校生物で習った知識を脳内で引っ張り出しているところ.
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基礎研究に資金を,という主張は大隅先生がされると勿論説得力がある.ごもっともだと誰しも思うだろう.
一方で,違和感もある.失礼ながら,自分たちの楽園を守るための身勝手な主張じゃないか,と.
過去に同じような主張をされてきた受賞者の方がいるにも関わらず,基礎研究にお金が割かれていないってことは,やっぱり何か理由があるはずだ.
どうしてだろう・・・この点について考えてみた.
なんで応用研究ばっかりに金がついているかというと,評価しやすいから.約束を守らなかったら丸わかりだからね.
つまり,説明責任の時代に合うのが応用研究,ということになるね.うちの研究所でも,常に出口イメージ(何に役に立つのか,それはいつできるのか)の説明を求められて,それが上手くできたものしかお金がつかなくなっている.
基礎研究は(数十年くらいは)結果を求められない,事後評価もしないとすれば,税金を何に使ってるか国民に説明ができない,という考えなんだろうな.
で,どう見ても無駄っぽいお金を投じることを正当化するのに,説得力ある説明方法ってないもんだろうか,と考えるわけです.
本来は文科省マターのはずで,上手く(熱く)説明&財務省を説得することが求められているだろうけど,それはできていない.
基礎研究の研究者が一丸となって訴えるのか?それも「うまい汁吸うのはあなた達ですよね」と言われて信頼されなそうな気もするし,そもそも基礎研究の重要性を丁寧に説明されても,内容まで理解して「それならサポートしようじゃないか」と納得することは(フツーの人にとっては)ほとんどないと思うのよね.
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どういう国が基礎研究にお金を出しているのか.仮説として,科学者はそもそも「高等遊民」であるという意識が国民にあって,それらへの支出はしゃあない(当然だ),と思える国なら基礎研究にお金がつくんじゃないか?と思った.例えばヨーロッパは元々格差が大きいので自然にそう思えるとか.
話は少し逸れるが,中学の時,英語で”calling”が”職業””天職”という意味だと知ったときはなかなかに感動した.つまり欧米(キリスト教社会)では,仕事は神から与えられたもの,という意識が根底にあって,基礎科学者はcallingという意識で仕事しているんじゃないのかな.加えて,「神から選ばれたんならしゃあない」と,人の仕事をうらやまないコンセンサスがある.日本ほどには高等遊民や特権階級に対する風当たりが強くないから,トップダウンでそういう予算配分をされても納得されやすい素地があるのではないか.つまり,平たく言うとヨーロッパもアメリカも格差社会であり,みなそれを肯定しているということになる.ここまで考えると,(平等っぽい)日本で基礎科学にお金をどどーんと,というのは難しいんじゃないかな.
日本の現状を変えるには,ある一定程度のお金を捨てる覚悟で基礎研究に投じることをトップダウンで決めて(←ココ,国民同士で合意形成とか絶対できない),これが日本の目指す方向なんです!と偉い人が高々と宣言するしかないんだろうなあ・・・・血を流す人が色々いそうだが・・・・
あと,関係ないかもしれないけど,新自由主義者?の堀江貴文さんとかちきりんさんとかは,国が基礎研究に毎年がっつりお金をつぎ込むことに対してどう考えているのか聞いてみたい,ギャンブルの一環としてはあり,とか言うんじゃ?