Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

辺境からはじまる 東京/東北論

赤坂憲雄小熊英二=編,明石書店

去年の3.11から10日もしない3月下旬には,東京では既に話題の中心が津波でなく放射能に移っていた,そのことに私はひどくガッカリした.言葉は悪いが,首都圏の人が放射能で騒ぐ権利があるのか?と思ったからだ.もっと他に心を砕くべきことはあるだろう・・・と.私は震災後も4月下旬頃から毎週東北(山形)新幹線に乗っていたから福島,仙台で何が失われたかを,そして時間経過とともにそこで最も必要とされていることが変化してることを,車内の空気から感じてきた.その空気は痛いくらいだった.だから首都圏の現実味のない騒ぎ方やお気楽さがひどく滑稽で耐えられなかった.津波放射能で苦しんでいる人に対して「気の毒に」というコメントも腹立たしかった.なんでだろう?
ということで3.11以降モヤモヤしていたんだけど,それは,首都圏(東京)の論調が東北をあからさまに見下していた違和感だったのかなと.にも関わらず,実は「中央=東京」の側にいる自分の仕事上での立ち位置.すごくしんどい.「フクシマ論」とかこういう本を読むことで,東北に迫りそれが結果的には自分に対する救いになるのかな,ということで手にとった.
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ええと.この本,非常に面白かった.
飯舘村,六ケ所村などに入り込んだ聞き取り調査などは,東北人からみると納得の行く事ばかり.たとえば,あんまり9時5時で働かないとか(うちの夫!),地域行事が生活の主体とか,国の補助金がおりるが使いにくいから自ら立案して使いいいように読み替えるとか.別にいいとか悪いとかじゃなくて,東京とは自由のベクトルが違うってこと.
第II部の赤坂憲雄×小熊英二の対談も相当ラジカルなことを言っている.これは賛否あると思うけど,真実をついていて正論なので重要だなぁ.しかし小熊英二さんは東京の人なのに,こんなこと言っていいのかしら・・・「現実を受け入れながら将来像を描いた方がいい」「地域によっては,いまの高齢者が生涯を終えるまでの20年をもたせるコミュニティだということを前提に,復旧と維持を考えていくこともあり得ると思います」
東北に住んでいると「詰み」な感じは日常で,たとえば「これは朽ちていくのを待つだけだなあ・・・」という集落もよく見かけるので,復興するかはよく考えたほうがいい,という意見はすごくわかる.若者がわんさかいる時代に戻るのは,少なくとも東北全体では無理だよ,と思う.ただし関東の人に言われたくはない,こういう冷めた意見を東北人が出せたらよいんだけど.自治体の首長は帰村ありきだし,当事者は5年先くらいしか考えられないものだからなあ.
復興って,いつの時代に戻すことを言うのか?という問題提起にはグッときた.海岸沿いにある泥の被った水田を震災前の状態に戻すって意味あるの?泥の被った状態は江戸時代に戻ったことだから,「江戸時代の状態には復興」してるじゃん!とか.要は震災前に戻したって詰んでるところは詰んでるってこと.そしてそれを地元民はみんなハッキリ分かっているってこと.しかしダウンサイジングという選択肢は,関東人からは言いにくいよなあ・・・
こんなかんじで,思考がまたグルグル.