Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

偶然とは何か

竹内啓=著、岩波新書
リスク論に対する漠然とした不信感の代表的な声:
「確率の大小で議論するのは大事だけど、自分がその被害にあうかどうかを考えるとき、自分にとっては確率は0か1のどちらかだ。もし1(=アタリ)だったときはどうしてくれるの?一人でもそういう人を出さないようにするのが当然なんじゃないの?」
こんなことを言うリスク論反対者に対してdefenseしなければいけないとき、どういう風に応えるのがよいかな?といつも考えていて。書店で立ち読みして、そういう場合の処方箋が書かれている(第5章)っぽかったので買った。岩波新書をアンチョコ本にする私も人生ナメてるかしら・・・。
その漠然とした不信感への答えは簡単で、確率で判断はできても、なお不運は取り除けない、なぜならそれが「偶然」というものだから。不運についてはみんなで分けあいましょう(相互扶助)と。いままでの感情論ではここが分離できていないってことがわかった。そう、あなたが当たったんなら、他のたくさんの人が当たってないわけだから、当たってない人から助けてもらおうよと。なるほど、こういうのシンプルでいいな。科学かといわれるとちょっと違うかもしれないけど。
その割りに、「宝くじの期待効用は負であるから、宝くじを買う人の行動は合理的ではない(p.81)」ってばっさり切り捨てているのには笑った。数学者じゃないんだから、そんなに一刀両断にしなくても。「どうせ他のものにお金を使ってしまうのなら、宝くじを買って夢を見たほうがよい」という考えもあるのでは?残らないものを買う、プロセスを楽しむという意味では旅行や食事やエステと同じかと。ただ、はずれたときのがっかり感がメチャメチャ後を引くタイプの人だと違ってくるかもしれない。