Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

誰も知らない

XX学会誌2007年2月号

出版業界っていつ寝てるんだろう,ってくらい仕事が速い.原稿を上げたらすぐ初校になって帰ってくる.これは,私の原稿が単に遅いだけ?


監督:是枝裕和,2004年製作,日本作品

母親と4人の子どもが2DKのマンションに引越してきて,ささやかながら幸せに暮らすところから,この映画は始まります.ただし,外に出られるのは一番上の明(柳楽優弥)だけで,他の3人は家から出てはだめ,と母親から命じられました.子どもたちは4人とも父親が異なり,学校にも行っていませんが,デパートに勤める母親が時々しか帰ってこなくとも仲良く協力して生活していました.しかし,母親が姿を消してしまい,生活費がなくなって・・・

明が,母親にぶっきらぼうに吐き捨てる台詞があります.「いつになったら学校行かしてくれんだよ」.学校のチャイム,笛をデタラメに吹く小学生,真新しい制服や靴に身を包んだ中学生.学校に行っている子どもにとっては何気ない日常が,明たちにとってとてつもない重みを持つのです.よその友達と遊んだり,野球に誘われて一心不乱にバットを振っているときの明は,何と生き生きしていることでしょうか.お金がなく不自由な生活を強いられるとより,社会とのつながりを切られることの方が辛いのかもしれない.

桜の咲く頃,4人でこっそり外に出ます.明以外は数ヶ月ぶりの外出になります.ウキウキとした空気が画面から伝わります.外に出られる自由がある!なんと心が軽くなることか.遊びたい盛りの4人は仲良く走り回り,公園の遊具で遊び,一瞬,本来の子どもの顔に戻ります.その笑顔は桜のめでたさと相まって,それはそれは幸せそうですが,その表情の変化がまた切ないのです.人間は「人」の「間」と書きますが,社会から消去され,「誰も知らない」存在である子どもたちは,この後どのような人生を歩むのでしょうか.余韻を残して作品が終ってしまうため,続きが気になります.

この映画で注目すべきインフラは,大都市,東京です.東京がインフラというのも変な話ですが,東京という街が,子どもたちを見守る大きな器のように感じられるのです.映画全体に静謐な雰囲気が漂い,台詞や効果音が少ないので,その分,物言わぬ街が雄弁に語っています.どこにでもある風景ですが,映像として観ると,その陰影の美しさや懐の深さに新たな発見がありますので,よく目を凝らして感じ取ってください.ロケは全て自然光なのでしょう,夜の画面は暗く,夏の昼間は眩しく,しかし,いずれの場面もどこか温かで,監督の東京の街に対する愛情が伝わってきます.

明が,夕暮れ時に駅から続く商店街を抜けてマンションに帰るシーンが,筆者の好きな場面です.3面張りの都市河川,金属の手すりのあるコンクリートの階段,銭湯の煙突.街は雑然としていますが,ぽつぽつ点る街灯が寄り添うような温かみを出しています.コンビニでの買い物,母親と過ごしたファーストフード店や,「父親」に会うために訪れたパチンコ屋,タクシー会社などのリアルな大人の世界も明が成長する舞台となっています.夜明け前の羽田空港の灯りも,詩情たっぷりです.また,晩秋の落ち葉,冬の冷たい雨といった一見何の変哲もないモチーフですら,東京の四季を見ごたえあるものにしています.

この作品は1980年代後半に実際にあった事件がモチーフとなっています.この事件の陰惨さがゆえに,本欄で取り上げることに迷いはありましたが,現代の東京の風景を飾らずに切り取っている映像は一見に値すると思います.是非ご覧になってみてください.