Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

大人は判ってくれない

フランソワ・トリュフォー=監督、1959年フランス
ジャン=ピエール・レオ
トリュフォーの自伝的映画。終了後、前・東京国際映画祭ディレクターの矢田部吉彦さんのトークショーがあり、お得な回だった。ヌーベルバーグの旗手、トリュフォー。『監督のはらわたに沁み込んだ想いを映画にする』、これまでの映画の文法から離れて自由に表現する、という流れを最初に作った人だそう。確かにハリウッドの娯楽作品とは映画がまとっている臭いが違う。スカッと楽しむために観る映画とは一線を画しているなーと思ったところ。
トリュフォーのテーマは「孤独」「アウトサイダー」しかし「社会に認められたい」が共通項。

主人公は12歳の少年、アントワンヌ・ドワンヌ。
学校の成績が悪く、素行も悪く、学校をさぼって映画館や遊園地へ。親にも理解されない不良少年。家の玄関わきのスペースが彼の寝室で、家族からの愛情が薄めなことが分かる。学校をさぼる口実に「母が死んだから」と言い放っちゃうアントワンヌ。先生にも何かと目を付けられて、そりゃあ鬱憤もたまるというもの(私の感想としてはしかし、こんなに簡単に家出しちゃって良いのか?という小並感)。
で、白黒映像が良いね。戦後すぐのイメージのパリの街並み。せわしなく行きかう自動車にエッフェル塔が映る。
カメオ出演の俳優たちが豪華で、遊園地のアトラクション「遠心分離機」に一緒に乗っている観客の一人が、トリュフォー自身(「遠心分離機」のぐるぐる回転を描いているのは、ヒッチコックの「めまい」へのオマージュと言われている)。街角で猫を探してと頼む女性が、ジャンヌ・モロージャック・ドゥミも出てる。あと、劇中、映画館のシーンで貼ってあるポスターを盗むが、そのポスターは「不良少女モニカ」(イングマル・ベルイマン)、それを不良少年たちが盗むのは面白かった。「パリはわれらのもの」(ジャック・リヴェット監督)をアントワンヌ家族で観に行くシーンがある。この映画、「大人は判ってくれない」撮影中にはまだできていない(1961年完成)ので、わざと時間軸をねじれさせているのだそう。この話はつづきがあって、「大人は判ってくれない」が大ヒットしたために、売上金を「パリは~」の制作費に充てたのだとか。
ラスト、アントワンヌがカメラをにらみつけて終わる。映画の文法では普通、役者はカメラを凝視しないのだそう(谷田部さんによる。この解説、へーっと思った)。当時として非常に斬新なラストだったんだって。