Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。

島田陽磨=監督、2021年日本(日本電波ニュース社
これは控えめに言って傑作。今年一番のドキュメンタリー。すべての人が観るべき。とにかく観るべし。

1959年から84年にかけて、日朝政府の後押しによって行われた在日朝鮮人とその家族による北朝鮮への帰国事業。これにより長年会うことができなかった姉妹の姿を追ったドキュメンタリー。熊本県で一見平穏な毎日を送っている67歳の林恵子には家族や親しい友人にも語ってこなかったある秘密があった。それは1960年に実の姉・愛子が在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮に渡り、北朝鮮で暮らしているということだった。渡航した愛子は山のように手紙を送ってきたが、そこに書かれていたのは送金や物品送付の催促ばかり。憧れの存在だった姉の変貌ぶりに落胆した恵子は姉と絶縁する。日朝関係は悪化し、姉妹は一度も会うことがないまま、58年の歳月が流れていった。ある時、姉の消息が知らされた恵子に姉への思いが再び頭をもたげ始める。これまで海外旅行もしたことのない恵子だったが、子どもたちの反対を押し切り、北朝鮮行きを決意する。(映画.comの解説から)

人間ドラマとして、一切の偏見を取り払って観る。

林恵子さんの行動力、ユーモア、素晴らしい。朝鮮にわたった愛子姉さん。会えばやはり、妹を心配する普通の姉だった。再開の場面は、涙なくして見られなかった。
愛子さんの手紙。しっかりとした筆跡で、頭の良さを感じさせる文章でありつつ、随所に北朝鮮の体制礼賛の言葉が書かれる。故郷を、妹を思う気持ち。手紙の最後は「はしたない姉より」。好きで北朝鮮にわたったとはいえ、当初は予想できなくて、どうにもならないことがある。「三年で帰れるようになる」、本気で信じた。朝鮮帰還事業で帰った人はみな希望にあふれていた(その映像もあった)。それが一転、政治の波に翻弄され、思いもしない苦労が待っていた。騙された、、、と百万回くらい思ったことだろう。もちろん、南朝鮮出身の夫は北朝鮮に行った後も愛子さんに尽くしてくれ、お子さんにも恵まれ、幸せでなかったわけじゃない。ただ、祖国に一度でいいから帰りたいだけ。愛子さんだって体制に翻弄された一人の人間なのだ。

貴重な、北朝鮮の町の(ドラマじゃない、生の)映像がよかった。朝鮮民主主義人民共和国第二の都市、咸興(ハソン)市。学校に通う子供の様子、市民会館に集まる人、結婚写真の撮影風景、など普通の人が映っているのが良き。川が冬になると凍って寒そう。「愛の不時着」で北朝鮮の風景を相当見て知っていると思っていたものの、ドキュメンタリーは説得力が違った。
北朝鮮のことは触れたくない、もしくは、関心なんてまるでなし、が多くの日本人の共通の心情であることも正直に伝えられていてよかった。Twitterアカウントに「自己責任」という言葉が投げつけられる、酷い現実も紹介された。単に、肉親に会いたい、ただ、国境がなく簡単に会えない国にいるだけなのに、どうしてそんな言葉を投げられようか。
林恵子さんの息子さんが、恵子さんをサポートして北朝鮮に一緒に行ってあげるのが、良かった。いい息子さんだなぁ。愛子さんのお子さんたちとは従妹になることを考えると、相当近い血縁のはずだが、立ちはだかる壁の高さに言葉が出なくなる。

以下、この映像とは関係がないが私の経験。新潟市に住んでいたとき、ソ連(当時)や北朝鮮はそんなに遠い存在じゃなかった、という感覚がある。私が新潟にいたときは朝鮮帰還事業は終了していたが、新聞などで「朝鮮総連」という文字は目にしていた。個人的には、そのころビデオで吉永小百合主演の「キューポラのある町」を見て帰還事業のことも知っていた。ちなみに「キューポラ~」原作者の早船ちよにその後ドハマりし、いろいろ読み漁って、社会主義に興味を持った。中学の生徒会か何かの交流で、新潟市立二葉中学校に行ったことがあった。学校の敷地から100mですぐ日本海。運動部のランニングは砂浜でやると聞いた。大荒れの冬の海を見ながら、向こうは外国か、と思ったのを覚えている。今、二葉中学校は廃校になって、コミュニティセンターのようになっているらしいが、ただ無性に懐かしく、もう一度行ってみたい。
・・・多少なりとも背景を知っていた私でも、こんな風に分断された家族があることは全く知らなかったし、想像すらしたことがなかった。今後、日本と台湾のような民間交流の形でもいいので、細々と扉が開いていくことを本当に願う。