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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

レギュラトリーサイエンス

レギュラトリーサイエンス=科学だけでは答えの出ない問題に答えを出さなければいけないとき、どうやって答えを出すか、という問題意識のもと発展してきた科学。多くの場合、手続きの作法が各分野で発展してきている。
これを知っていると知らないとでは不確実なものに向き合うときの心構えが違う、意思決定のための知恵の一連の塊。というイメージでいる。

内山充氏が提案したレギュラトリーサイエンスは「調整の科学」。上に記したものより広い、というか、定義が曖昧(調整ばっかりしていたら結局誰も納得しない意思決定結果になるんじゃないかと思ったりする)。「調整の科学」の中に、優先順位のつけ方の作法とか、コミュニケーションの席についてもらう利害関係者の選び方の作法など、サイエンスの中身が示してあればよいのだが、具体的にはわからない。
「合意形成というのは実践的には「みんなが同じくらいに不満足な解を出す」ということなんです。」と内田樹が語っていた。おっしゃる通り。しかし満足か不満足かはなにがしかの判断材料がないと決められないはず。妥当な評価項目が選ばれていて、その項目のスコアを比較する、といった物差しがないと満足か不満足かもわからないまま話し合いが終わってしまう気がする。

レギュラトリーサイエンスとよく対比されるトランスサイエンス。
トランスサイエンスは、科学だけでは答えの出ない領域(の科学)、とされている。要するに、科学だけでは答えの出ない問題を考えたい人々が、自分たちの扱う科学領域に定義が必要だ、となってつけた名前。
当然、従来の科学より広範なんだけれど、おそらく「名前を付けただけ」なので、解決のための決まった手法はない印象である。【もちろん、名前を付けること自体も重要であることは理解していますよ!!】
したがって、いろんな分野の専門家が、時には専門家じゃない市民も交えて、いちから自由に話し合っている。多くの場合時間がかかるので、答えを出さなければならない時期を逃してしまう(そして話し合ったことを忘れてしまう)印象が強い。間違っていたら誰か訂正してほしい。

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レギュラトリーサイエンス=科学だけでは答えの出ない問題=に答えを出す例
・「(物理量を)直接は測れない」場合、どう推定して、判断基準を導くか。
⇒推定方法に作法がある。
事例)低い線量の放射線。人に対する小さな発がん影響。概して、非常に小さくて観察できない影響を論じるときの作法、とするとわかりやすいかも。
・ある集団の平均像はわかっているものの、その集団と似たような集団について、評価をする場合。個別のデータを取る余力がないが判断する必要がある場合。
⇒Read-Across。似たような集団で適用された事例を横目で見つつ、たとえば平均からどのくらいずれているか、で判断する。規制・認可の多くはこれ。
ある種の一般化と拡張(他事例への適用)なのだが、この「拡張」を適切に行うのが難しく、作法をトレーニングした人がやらないと「ハァ?」ってことになりがち。
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医療機器レギュラトリーサイエンスの分野を見ていて
レギュラトリーサイエンスとは、承認、評価の科学的根拠を付与するための科学。安全審査(承認)は、リスク評価が基盤になっている。
承認のための、フローは確立している(どの審査官が審査しても同じになる)ことが重要。これは、畝山先生の著書でも指摘されていた。