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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

公害に第三者はない 宇井純セレクション2

宇井純=著、新泉社
読み直し企画。現代の環境研究に全く相容れないアプローチや思想かというと、そうでもない。宇井先生の文章を読んでいつも思うが、私たちは、公害時代に蓄積した研究アプローチから、一体何を学んできたんだろう、と恥ずかしくなることがある。勿論、明らかに時代の産物(平たく言うと、古いよなぁ)というのはある。
P.230 宇井さんの文章でなく、元・愛媛大学学長の立川涼先生の言葉だが、「現在の毒性問題とくに長期的影響について、一物質とその毒性影響が一対一で対応することなどまれなケースであり、古典的な意味での科学的な毒性証明を行うことは難しい。だからこそ、予見・予知・予防という考え方が人工化学物質の毒性管理政策の核心となる」
立川涼、環境と公害32(1)、p.26、2002)

予防原則って、ややもするとトランスサイエンスになるのではないかと考えた。予見・予知・予防という考え方もルールや規範がないと、定量的議論から目をそらすだけになってしまう。トランスサイエンスは、”科学では答えられない問題を扱う”とフレーミングを明示することには貢献したけど、具体的な解は与えない科学である気がするので。