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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

害虫の誕生―虫から見た日本史

瀬戸口明久=著、ちくま新書
害虫は社会的に作られる概念である、という結論になるだろうな。・・・このように予想はしていたけれど面白かった。
昔は、もちろん虫は虫で、害虫なんて概念が存在しなかったし、イナゴのように大量発生する虫は、お札などで鎮めていた。疫病退散の方法と同じだよね。蠅のような「衛生害虫」が嫌われるようになったのは20世紀になってから。それは伝染病を媒介することがわかってきたから。それは主としてアメリカの文化。
化学殺虫剤の発展。米国の法、FIFRAの成り立ちが少し理解できた。

「応用昆虫学」の成立によって、一九世紀アメリカにおける害虫防除技術がは飛躍的に発展することになる。この時期の害虫防除における技術革新のうち代表的なものが、化学殺虫剤と天敵導入の二つである。(P48)

殺虫剤の技術の飛躍的発展のきっかけは、近代的な戦争(第一次世界大戦)。戦争って軍事技術だけじゃなくて情報学も、工学も、毒性学も、そしてリスク制御技術もなんでも発展させるよね。

大量の人間が集まり、かつ衛生環境もきわめて悪い戦場は、古くから伝染病が蔓延するのに格好の場所だった。(P118)

そして、著者の主張は科学と社会の関係にも及ぶ。

「害虫と人間の関係」は、科学的な発展によって突然変わるものではなく、科学研究の進展と社会的な文脈が絡まり合いながらゆっくりと変容していく。(P131)

そして最近は「総合防除」の時代へ。なんと、どこまでなら害虫による被害が許容できるか、「経済的被害許容水準」という概念が提唱されていた。防除のコストが利益を上回るならば、<害虫>を駆除する必要はない。

応用昆虫学は、その成立以降初めて、一定の限度以下ならば<害虫>が存在することを認めたことになる。(P202)

許容できるリスクレベルの考え方はむしろこちらからきたのかもしれないなーと。