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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

「上から目線」の時代

冷泉彰彦=著,講談社現代新書

別に自分が「上から目線」だとよく言われることを気にして読んだわけではありません.夫が買ってきていて,家にあったから(←言い訳がましいって?).

凄くわかりやすくて面白かった.随所に書き写したくなる表現が・・・たとえば
原発事故における「上から目線」(p.161)
とか.「エリートが大衆を敬して遠ざける」種類の「上から目線」,これがタチが悪いという.「過度に複雑な技術解説は失礼に当たる」という思いそのものが,相手を不快にさせコミュニケーションの阻害要因となるという指摘.ほほぅ〜,とにかく徹底的に細かく説明したほうが,結果的にコミュニケーションには有効ということだ.私が「レギュラトリーな科学」ネタでリスク評価のプロセスの透明化の必要性を喋ってるけど根本は同じだね.

健康被害の可能性はないが,安心の確保のために・・・」という言い方(中略)にも,「科学的に裏付けられた客観的な安全性」と「科学に無知な大衆の感情的な安心」は別のものだ,という,極めて悪質な「上から目線」がある.
どうして悪質なのかというと,そこに「見下す」目線があることで,何を言っても社会は素直に受け止めることができなくなるからだ.(pp.162-163)

ここで,インドの市販薬の取扱説明書で,記載事項がやたら専門的で感動したのを思いだした(リンク).インドでは,こういう市販薬を買うことができるのは富裕層に限られているので(=内容も理解できる可能性が高いので)妥当性があるのかもしれないけど,でも医学生物学の修士号持った人が分かるような記述ですよ,これ.要は,先回りして無駄な妥協をしないってことでしょう(以前読んだ畝山さんの本(リンク)でも同じですね).

私,不勉強で,原発のストレステストの結果報告が一般向けにされたかどうか(たとえば新聞に載ったかどうか)確認していない.それを開示しないと大飯原発を再開なんてできないはずだが?(追記予定)