Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

人はリスクとベネフィットを勘案してリスクを受け入れる

東京五輪を迎えるにあたり、福島県の復興状況や放射線の健康影響に対する認識をあらためて確かにすることが必要」という,三菱総合研究所の都民に対するアンケート.
この結果には驚いた.福島県産の食品に対する意識,福島県への旅行に対する意識,放射線による健康影響に関する認識,いまだに危険なイメージを持つ人が3割くらいいるんだ・・・東京の人が,東北に関心がないって本当で,こういうアンケートで問われたら「数年前そういえば・・・」と昔のままのイメージで答えちゃった,って人が一定数いるということだろう.情報のアップデートって本当に難しいんだなぁ.

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話は変わるが,東日本大震災に伴って起こった原発事故で,「東京の人」や「関西の人」が,自分の住んでいるところの放射線量レベルを心配していたことについては,私はどうにも許せなかった.
心配するのは個人の自由だし,自分の線量を調べて納得と安心につなげた人も多かっただろうから,心配すること自体は正しい行動だ.私はそれを頭ではわかっていたし,だからこそ「安全なところで心配していただけの人を許せないと感じてしまう自分」に対してたいそう嫌気がさした.もちろん,福島の人に対するあからさまな差別発言は許せない,でも当時の私はそれ以上に,無限定に,東京の人間ほぼ許せん,という心理状態になっていたのだった.それはなぜだったのか.6年半経って,やっとわかった.
理由は東京>>福島>山形というヒエラルキーの意識が鼻についたからだ.福島がディスられるってことは,山形がもっともっとディスられる,それを本能的に感じたからなんだな,と.

別の理由もあるかもしれない.物質の拡散を考えると,発生源に近いところのほうが一般的に濃度が高い(もちろん気象条件によるが).福島の人が静かに不安に思っているところに,東京の人が声高に不安を叫ぶのはバランス悪くない?東京の人はもっともっと静かに不安がってほしいよ,と思っていた.大きな声で叫んでいるのを”醜い”と感じていたんだと思う.

当時の私は”主語を大きくしすぎていて”,今考えると本当に恥ずかしい.

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で,またまた話は変わるが,人はリスクとベネフィットを勘案してリスクを受け入れる,というもう数十年前から言われていることに,今回も当てはまったのかな,と思う.東京の人が福島に対してベネフィットを感じていないから,あんなに怖がったんだな.
私は山形の置賜地方に生活の拠点を置く人間である.私にとって,福島は,経済活動が活発で遊びに行く,学びに行くというベネフィットを普段から与えてくれる,というイメージがある.要するに置賜地方よりインフラやレジャーが整っているということだ.私だけじゃなくて,山形のかなりの人は福島からベネフィットをもらっていたし,それは震災前も後もだ.2014年に子供会で福島のラウンドワンに行ったのも,福島にはあって,こちらにはないものを得るため.やっぱり,ベネフィット重要なのだ.ベネフィットってわけじゃないけど,親戚関係等で以前から人的交流があることも大きい.万世大路を通って多くの人が米沢に避難してきたから地理的にも近いことは明らかだが,心理的にも近いってこと.一方,当たり前のことだが東京の人からみれば,福島から得られるベネフィットは普段はない.あってもほぼ意識していないといっても良い.だから,東京にとっては福島はベネフィットを与えず,ただリスク(酷い書き方ご容赦),だったのだ.お互い様感がない.だからあんな対応を取らざるを得なかったのだ.
身近で,実態を知っていて,いいところだと体感している.これがあれば放射線による不安は些細なものと認識される.
そして,あえてここで声を大にして言おう.「福島の食べ物はおいしい」,ただただ美味しい.これは多大なるベネフィットだ.安全だからってよりも,美味いから食べるのだ.シンプルにそれだけ.もちろん山形も負けちゃいないけど!