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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

いしゃ先生

永江二朗=監督、2015年日本(志田周子の生涯を銀幕に甦らせる会 / 「いしゃ先生」製作委員会)
MovieONやまがたにて鑑賞。あらすじは↓。
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第2次世界大戦後の山形県の無医村で、地域医療に尽力した実在の女医・志田周子(ちかこ)さんの半生を全編山形県ロケで描くヒューマンドラマ。東京から故郷に戻り、医者を始めた当初は村で孤立しながらも、村民と相対し診察を続けていくヒロインの姿をつづる。(シネマトゥデイ
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映画の公式サイトはこちら。http://ishasensei.com/index.html
全国上映は1月だそうですが、山形県内先行上映でした。そして、信じられないことに、映画館ほぼ満席。しかも平均年齢高い高い。

この映画は、いつも使っている山形鉄道フラワー長井線羽前成田駅にポスターが貼ってあって、「ロケで使われました!」と書いてあったのでチェックを入れていたもの。羽前成田駅は築92年。国鉄時代から全くリフォームされていない、非常に趣きのある駅で、ここが映画にどのように映るんだろう?とそればっかり期待して観に行きました。

昭和10年、山形県大井沢村(現・西川町大井沢)に、東京女子医専、いまの東京女子医大を卒業して2年目の若き医者、志田周子が帰ってくるところから映画は始まります。のっけから大井沢+月山の山形っぽい風景全開。美しさに目を奪われますが、当然のように無医村なんですよね。村に医者を置くことが悲願だった周子の父が、半ばだまし討ちのように周子を呼び寄せたというわけです。

この時代、普通の人は医者に診てもらうという概念がないので、病気になったら「月山の修験者にお札を貼ってもらう」という方法を取るんですね。それを皆大真面目にやっていて治ると信じている。結構びっくりです。だから周子は全く村人に受け入れてもらえない。お金ばかり取られると思われている。国民皆保険制度ができ、貧しくても医療機関にかかれる現在の日本になるまでにはこういう道のりがあったのですね。

しかも、医療技術も未発達で、病人を運ぶにも車がないので、周子が診察してもどんどん人が死んでいきます。盲腸になった男性が、吹雪の中、箱ゾリで運ばれていて途中で亡くなるシーンがあります。結構泣けます。屈強な男たちが運ぶわけですが距離が尋常じゃなくて、夜通し歩いて峠越えして、20km離れた左沢(あてらざわ)の病院に連れて行くとか、もうね。健康な人でも肺炎起こして死んじゃいそうです。肺結核の疑いの娘を、おぶって(!)20km先の病院に連れて行くお父ちゃんのエピソードもあり。当時の左沢病院はレントゲンがあったそうですが、先進的で逆にびっくりです。大井沢との格差がありすぎだよ!!

これ以上はネタバレ的なので書きませんが、まあ最上川や月山の美しいこと。ロケが秋と冬に限られていたそうですが、それでも十分美しいので、春の風景をバックにロケなんかあったら私は涙でマトモに見られなかったと思います。

オール山形県内での撮影、も特徴の一つだそうです。羽前成田駅に加えて白鷹町にある旧・滝野小学校がロケに使われていて、ここはいつも長井から山形に行くとき横目で見ている施設だったので、親しみがありました(教員だった夫の祖父も、滝野小学校で教えていたというし)。木造校舎をそのまま公民館のように使っているとのことですが、保存状態がよいためロケにもよく使われるとのこと。

滝野小学校のシーンで、面白かったのが、いきいきとした山形弁のセリフ。主人公の弟、悌次郎が通う小学校にて、という設定だったのですが、悌次郎の級友たちがバリバリに訛っているのです!いや〜山形の言葉が上手な子役を、こんなにたくさんよく見つけてきたものだと感心したのですが、あれ?置賜の言葉なのです。西川町は村山弁のはずなので、おかしいなと思ってちょっと調べてみました。どうやら、白鷹(←置賜地方)で子どものエキストラを募集したせいで、地元の子供達が採用され、普段使っている置賜弁を自然に喋っている、というオチではないかと。それにしても、地元の子どもの、飾らない方言がこうやって映画に残るのっていいなあ(置賜弁だけど・・・)。こんなツメが甘いところも味があります。

この映画、「志田周子の生涯を銀幕に蘇らせる会」の製作です。山形県西川町の一般の人々が中心となって一口五千円の出資を募ったそうです。1億円目標額のところ、三千万円くらいしか集まってないのも山形らしい。しかし、オール県内ロケで地元の人は炊き出しとか提供しているようだし、素人をエキストラでバリバリ使うし、衣装もボランティアの手作りだし、なんか山形の人って熱気がありかつ余裕あるっていうか。給料貰える仕事だけが仕事じゃないっていう感覚をみんながシェアしているのは、かけがえのない財産だなと思ったことでした。

オマケ:羽前成田駅は、大井沢の最寄り駅で1970年代に廃線になった山形鉄道三山線「間沢」駅として写っていました。こんな田舎(←失礼)にあった三山線むっちゃ気になる。間沢駅も出羽三山への参拝客で大いに賑わったらしい、マジか!今度、廃線跡を歩いてみたいものですな。