Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

あの子を探して

今年観た中で最高!こういう映画に出会うために多くの映画を観ているのだと思えば、駄作に当たっても我慢できるというものだ。文句なく傑作である。
中国河北省(Hebei Province)の奥地の村。小学校には1年から4年まで28人が学んでいる。先生が休暇を取りたい(親の看病のため)が、交通不便で代用教員が見つからない。しかたなく、隣村から小学校も卒業していない女の子を先生として雇うことになった。1ヶ月の報酬は50元、その間に一人も生徒が減らなかったらさらに10元もらえる。という契約の元、代用教員と子どもたちの生活が始まった・・
何が気に入ったか。まず、主人公の13歳の女の子が、ず〜っとブスッとして、にこりともしなかったことである。50元+10元(日本円に直してしまうと1ヶ月の給料としては非常に安い!)をもらうためにいやいや仕事をする。「代用教員とはいえ先生なので、ニコニコと元気に教えるよう努力しよう」、なんて心がけが微塵もない。つつがなく任期を全うすればよいという事なかれ主義がアジア的でとても共感できた。授業は教科書丸写しの板書を生徒に写させるだけ。教室から脱走しなければそれでよし。とてもリアルに思えた。1ヶ月休暇をとる正規の教員も金にうるさい。チョークは1日1本しか使えない、とか、やけに細かい。
一人の男子生徒が町に出稼ぎに行ってしまうところから急展開する。その子を探しに、町に行くバス代を稼ぐため、レンガ工場で頼まれもしない仕事をして「金をくれ」というところはまるでヤクザであり、笑ってしまう。金の出し渋り方も見所である。村長さんも、女の子も、相手に仕事を頼んでおいて、前金では絶対払わず、成功報酬とする。女の子の金の出し方は「ふんっ」てイヤイヤ出す。面白い。それにしても、金勘定がまさに算数の授業となっていて、生徒が皆いくら足りないかを一生懸命計算している。監視に来た村長がそれを見て、「やるじゃないか。算数まで教えとる」とつぶやいて帰るシーンは爆笑である。
そして、人探しで初めて出た大きな町で右往左往する女の子。それでも、スッポンのようにしつこく食い下がる執念がすごい。貼り紙を書いているところに「こんな内容じゃ絶対見つからないよ」と茶々を入れたおじさんからは、「じゃあどうすればいいの」とただでは引き下がらない。もうお金を全く持っていないのに。お腹が空いたら、路上の食堂で、他人の食べ残しを立ちながらすする。そのときも惨めな表情を見せない。平然と、ブスッとしている。どうするんだろう、本当に見つけることができるのだろうか、どきどきであった。
その女の子が、どこで涙を見せるか、最大のポイントであるが、張芸謀(監督)はやはりその辺うまいね〜。めでたしめでたしで村に帰る。観終わってみると、現代中国のいびつさをユーモラスに描いていることに気がつく。家の借金(数千元)のため町に働きに行かねばならなかった11歳の少年、町で働いても日給は2元。なのにテレビで数分呼びかけるだけで、視聴者からの寄付でその村の小学校を建て直し、少年の家の借金を返すことができる。これって、一体・・
いろいろな映画感想サイトで、この映画に対して否定的な意見も結構目に付く、例えば「中国人がこんなに金にがめついのか」「13歳の子どもを労働させるな」とか。私は、その辺はコメディーとしてみるべき映画なのではないかと思う。「はじめてのおつかい」と「わらしべ長者」を組み合わせたサクセスストーリーなのである。
ただし、1点だけ残念だったことがある。それは、最後のタイトルクレジットが英語だったこと。これは、張芸謀がこの映画を国際映画祭に出展することを初めから意識していたことの現われだと思う。英語になっていると、とたんにユニセフユネスコの啓蒙映画みたいに感じられ、すごく偽善的な作品になる(「あなたの豊かな生活を少し見直してみませんか?」「世界にはまだまだこんなに貧しい暮しをしている子ども達が」等々ささやかれているような気がして)。この映画はそうでなく、あくまでも現代中国の現実を描いた娯楽映画なのだ、ということを強調したほうがいいと思った。