Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

めぐり逢わせのお弁当

リテーシュ・バトラ=監督,2013年インド・仏・独合作

この映画,なぜ観たいかと思ったかというと,インドの弁当配達人「ダッパー・ワーラー」がありのままにフィルムに映ってるんじゃないかと期待したから.

実は,主人公はダッパー・ワーラーさんたちじゃなくって,お弁当を作っていた主婦と退職間近の男やもめだったのね~.

地味な映画だったけれど,4段重箱のお弁当はおいしそうだったし,男やもめさんがだんだん笑うようになってきたからよかった.

ムンバイの自転車,バス,鉄道事情の記録映画としてもなかなか.会計事務所にパソコンが一台もないのは違和感があったけど.現代のインドのオフィスが全く電子化されてないってことはないでしょうに.

バーフバリ 王の凱旋

S・S・ラージャマウリ=監督,2017年インド

勢いあまってこちらも鑑賞.
白髪三千丈という言葉がぴったりのやりすぎCGが笑えたけど面白かった.

ちなみに1作目の英語タイトルが”Baahubali:The Beginning”,第2作目が”Baahubali2:The Conclusion”とかイージーなタイトルも好き.

バーフバリ 伝説誕生

S・S・ラージャマウリ=監督,2015年インド
テルグ語なので何を言っているか全然聞き取れないけど,好き!
空を飛ぶシーンの多さ,主人公に都合の良い超絶技巧など,色々やり過ぎ感があって笑えるので癖になりそう !
南インドの映画は,まだまだ「観客に夢を見させる」機能が残っている気がする.「ムトゥ踊るマハラジャ」はタミル語だったけど,これもヒーローの活躍スタイルが現実離れし過ぎで大笑いだった.繰り返しになるが,こういうの好きです.

次女10歳

2月15日は次女の誕生日.10歳になりました.くしくも小学校の参観日,4年生は二分の一成人式ということで,休暇を取って参加しました.手作りのカードをもらい,夜は家族全員揃ったので,ケーキでお祝いしました.
10年前の出産はトラブルというか,エピソード満載でした.無事に成長した今となっては笑える話になったので,書いてみたいと思います.出産時は神経が研ぎ澄まされていたのか,やたらと細かいことまで今でも鮮明に覚えているのです.
私は切迫早産のため山大付属病院に入院していて,なんとか34週まで持たせたら張り止めの点滴を抜かれ,即,分娩体制に入ってしまいました.産まれた赤ちゃん(次女)は,頭の大きさが温州みかんくらいで,小さかったなぁ.

・寝る夫
まずは夫の話.仕事の時間が非常に不規則にもかかわらず,夫は出産にいずれも立ち会うことができました.それは大変ありがたいことなのですが・・・
このときは,産院(山形)は自宅(長井)から車で1時間とかなり遠かったにもかかわらず,長女と長男を連れて毎日見舞いに来てくれました.出産の前日もいつものように夕方に見舞いに来てくれたあと,家に着いたあたりでこちらも動きがあったので,「今晩産まれるよ」と電話.夫は再び産院に(23時ごろ)やってきました.山形の2月ですから,夜の山越えは難易度高し.路面凍結,事故,が珍しくなく,運転お気の毒になぁ,と思ったので(こっちも陣痛始まり気味でじわじわと痛いんですが)優しく声を掛けました.
私「お疲れ様~道中,どうだった?」夫「348は車が所々脇に突っ込んでいて,怖かったね~」などとエッジの利いた会話をしていたにもかかわらず,ふと気が付くと返事がなく.あれ?寝てるよ!
病院に着いて3分.部屋にあったソファーで,夫は熟睡しておりました….
翌日朝から白鷹町で法要があるから,寝ないとダメなのは知ってたけど!寝るの早すぎ!そんなに堂々と寝るな!と軽い殺意が.陣痛の時って,どんなに眠くてもこちらは寝れないのに….3回目の出産とは言え,夫の緊張感のなさにはあきれ返りました.結局,3:00AMに(文字通り)たたき起こし,分娩室に連れていってもらいました.

・まさかの「待った!!!」
10年前の2月15日は日曜日.次女が産まれたのは4:25でした.
日曜日の早朝の出産は,大学病院といえども手薄だったのでしょうか,助産師一人,医師一人という現場でした.
3時ごろ分娩室に来てウンウン唸っていた時は助産師さんしかおらず,そのあと先生がいらっしゃいました.いかにも自宅から呼び出されたような慌てぶりで.そこに,なんと後からもう一人,産気づいた方がいらっしゃいまして産婦二人状態に.
その方は尋常じゃない叫び方「「◎$♪×△¥○&?#$!」で,「ああ,あの方初産だね」,と夫と目で確認しあっていました.私はもう3回目のお産だったし,赤ちゃんが小さめでお産は楽だと予想されたので,冷静に周りを観察して夫と冗談を言う余裕があったのです.
私のお産は順調に進み,あと一回いきむと産まれるか?というとき(当然,めっちゃ痛いんですが),
先生「ちょっと待ったぁ!!!!」
手のひらをこちらに向けてストップのジェスチャー.先生の手のひらの,指が反りかえっているのを私は見逃しませんでした!
私「へ?」
先生「(私の苗字)さん!待てますかぁぁ!!!!今産まれちゃうと受け止める人がいないんで!!!!」
瞬時に事態を察し
私「はいっ!!!待てまぁぁぁす!!!」
赤ちゃんの頭が今にも出んとす,というところで2分くらいでしたでしょうか,待たされました(苦笑).
すぐに,その初産妊婦さん(仮)のほうから「オギャー」.
私も「あ~産まれたな」と思っていたら先生から「ハイ,いきんでいいですよ」と言われて,こちらも無事産まれました.
研修を終えられたばかりと思われる,若い女性の先生でした.大変不謹慎ですが,その必死の形相と手のひらに,今でも時々思い出し笑いをしてしまいます.

文系と理系はなぜ分かれたのか

隠岐さや香=著,星海社新書
タイトルの「なぜ分かれたのか」という答えは最後まで読んでも出てこないので,これを期待して読むと「何言ってんのか全然わかんない」状態になると思う.しかし,大事なことは,過度に単純化しないこと.著者の潔い態度は好感が持てた.歴史の流れを丹念に追い,(文理)複線化⇒統一化⇒複線化・・・とモヤモヤした状態を抱えながら進むこと.これができるのは(AIじゃなくて)人間の特性だから.
「学問は現実の対象に近づくほど,不可避の政治性を帯びる」この文言.シビれた.
隠岐さんをGoogleで検索すると「隠岐さや香 左翼」と出るのも興味深い.そうなの?!

それでも,日本人は「戦争」を選んだ

加藤陽子=著,新潮文庫
序章のインパクト大.「戦争とは相手国の憲法を書きかえるもの」byルソー,←かっこよすぎません??18世紀の人間がこれを見抜いている.
War Scare,という考え方.支配国と被支配国があるとこういう考え方が身近になる.「『普段虐げられている人々・民族が,いざというとき襲ってくるかもしれない』と考えること.それに備えて予め武装しておくこと.」なのだが,日本人と朝鮮人の関係,19世紀末の米国と中国人もそうだし.ふと思ったんだが,これ,マイケル・ムーアの映画に出てきたのでは?War Scareはアメリカ人の考え方そのものともいえるかもしれない.
日露戦争前後の変化も面白かった.当時選挙権を持てる人は納税額○○円以上,という縛りがあったから,日露戦争戦費調達のために増税,納税額下限値引き下げ,などが相まって有権者が劇的に増えた.それに伴って実業家を議員として送り込もうという変化があった.今は立候補する議員の質がこのような理由で変化することはないから,この指摘は新鮮.