Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

次女10歳

2月15日は次女の誕生日.10歳になりました.くしくも小学校の参観日,4年生は二分の一成人式ということで,休暇を取って参加しました.手作りのカードをもらい,夜は家族全員揃ったので,ケーキでお祝いしました.
10年前の出産はトラブルというか,エピソード満載でした.無事に成長した今となっては笑える話になったので,書いてみたいと思います.出産時は神経が研ぎ澄まされていたのか,やたらと細かいことまで今でも鮮明に覚えているのです.
私は切迫早産のため山大付属病院に入院していて,なんとか34週まで持たせたら張り止めの点滴を抜かれ,即,分娩体制に入ってしまいました.産まれた赤ちゃん(次女)は,頭の大きさが温州みかんくらいで,小さかったなぁ.

・寝る夫
まずは夫の話.仕事の時間が非常に不規則にもかかわらず,夫は出産にいずれも立ち会うことができました.それは大変ありがたいことなのですが・・・
このときは,産院(山形)は自宅(長井)から車で1時間とかなり遠かったにもかかわらず,長女と長男を連れて毎日見舞いに来てくれました.出産の前日もいつものように夕方に見舞いに来てくれたあと,家に着いたあたりでこちらも動きがあったので,「今晩産まれるよ」と電話.夫は再び産院に(23時ごろ)やってきました.山形の2月ですから,夜の山越えは難易度高し.路面凍結,事故,が珍しくなく,運転お気の毒になぁ,と思ったので(こっちも陣痛始まり気味でじわじわと痛いんですが)優しく声を掛けました.
私「お疲れ様~道中,どうだった?」夫「348は車が所々脇に突っ込んでいて,怖かったね~」などとエッジの利いた会話をしていたにもかかわらず,ふと気が付くと返事がなく.あれ?寝てるよ!
病院に着いて3分.部屋にあったソファーで,夫は熟睡しておりました….
翌日朝から白鷹町で法要があるから,寝ないとダメなのは知ってたけど!寝るの早すぎ!そんなに堂々と寝るな!と軽い殺意が.陣痛の時って,どんなに眠くてもこちらは寝れないのに….3回目の出産とは言え,夫の緊張感のなさにはあきれ返りました.結局,3:00AMに(文字通り)たたき起こし,分娩室に連れていってもらいました.

・まさかの「待った!!!」
10年前の2月15日は日曜日.次女が産まれたのは4:25でした.
日曜日の早朝の出産は,大学病院といえども手薄だったのでしょうか,助産師一人,医師一人という現場でした.
3時ごろ分娩室に来てウンウン唸っていた時は助産師さんしかおらず,そのあと先生がいらっしゃいました.いかにも自宅から呼び出されたような慌てぶりで.そこに,なんと後からもう一人,産気づいた方がいらっしゃいまして産婦二人状態に.
その方は尋常じゃない叫び方「「◎$♪×△¥○&?#$!」で,「ああ,あの方初産だね」,と夫と目で確認しあっていました.私はもう3回目のお産だったし,赤ちゃんが小さめでお産は楽だと予想されたので,冷静に周りを観察して夫と冗談を言う余裕があったのです.
私のお産は順調に進み,あと一回いきむと産まれるか?というとき(当然,めっちゃ痛いんですが),
先生「ちょっと待ったぁ!!!!」
手のひらをこちらに向けてストップのジェスチャー.先生の手のひらの,指が反りかえっているのを私は見逃しませんでした!
私「へ?」
先生「(私の苗字)さん!待てますかぁぁ!!!!今産まれちゃうと受け止める人がいないんで!!!!」
瞬時に事態を察し
私「はいっ!!!待てまぁぁぁす!!!」
赤ちゃんの頭が今にも出んとす,というところで2分くらいでしたでしょうか,待たされました(苦笑).
すぐに,その初産妊婦さん(仮)のほうから「オギャー」.
私も「あ~産まれたな」と思っていたら先生から「ハイ,いきんでいいですよ」と言われて,こちらも無事産まれました.
研修を終えられたばかりと思われる,若い女性の先生でした.大変不謹慎ですが,その必死の形相と手のひらに,今でも時々思い出し笑いをしてしまいます.