トラベラー
アッバス・キアロスタミ=監督、1974年イラン
1970年代のイランの子どもの映像を見られる機会はめったにないため、面白く観た。白黒。子どもが子どもをだますテクニックがほほえましく、写真にとってあげるからと小銭を徴収するのは、誰も傷つけない嘘なのかな。普通の子の生き生きとした目。サッカーの試合をどうしてもテヘランで観たくて頑張る少年の、少し意地の悪い目。夜行バスでテヘランへという大冒険を、不当に稼いだ金でこなすのはある意味大したものだ。少年がいたのはイランのどこの都市かな、南の方と言ってたが。そして、サッカー少年が最後、サッカーを観られたかというと、、、。
カメラが相当古めかしい(叔父さんのを借りてきたと言ってたから当たり前か)ことを除けば、当時のイランの経済発展度合い、特にテヘランについては日本と大きく変わらないことに驚く。バスの乗車券発券システム、サッカー場外に並んで券を買うこと。ダフ屋もちゃんといる。サッカー場での大人たちの会話。一方で、少年の住む街は田舎で、自宅の庭でペルシャ絨毯を織っている親戚の女性らしき人がいて。家は土壁で埃っぽく、窓も不思議な感じ。こういうのいいなあ。
ホームワーク
アッバス・キアロスタミ=監督、1989年イラン
これも大量のイランの小学生を観ることができた。しかし、ちょっと退屈。
テヘランだろうか「シャヘッド・マスミ」小学校はシーア派の学校で、毎朝校庭に集まってお祈りする時間がある。日本で言うと、全校でラジオ体操するようなノリ。
キアロスタミが実際に子どもたちにインタビューにする。質問はパターン化していて「宿題は誰が見てくれるのか」「両親は字が読めるか」「アニメは好きか」「罰って何?」「ご褒美って何?」。
罰とは、叩かれること、ご褒美は、飴がもらえること、と素直に答えてしまう子どもたちが可愛い。
読み上げてもらって書き取りの宿題が出るらしいが、この子達の親世代は字が読めないことが多いようだ。少し若い世代の「(お嫁に行った)お姉ちゃん」「お兄ちゃん」「近所のお姉ちゃん」に勉強を見てもらっている、なかなか衝撃。
桜桃の味
アッバス・キアロスタミ=監督、1997年イラン
キアロスタミ、このころはいよいよ巨匠になってきていて、自由な作風だが、彼が撮ると映画になってしまうというオーラはあった。
主人公(山田孝之みたいなおじさん)は人生に絶望し、自殺幇助をしてくれる人を探している。土を20杯かけるだけの簡単なお仕事、「1杯1万トマン、いい仕事じゃないか」ということで、お礼は20万トマン。半年分の生活費に相当するようだ。
自殺幇助候補者は合計3人。それぞれ、主人公にどのような反応をするのか。何が起こるか先が読めないので、頭にはてなマークがいっぱいだが、なぜかずっと見ていられるのだ。
カメラワークは非常に単純。車の運転席と助手席をアップで映す目線が主体。もしかしたら「ドライブ・マイ・カー」はこれを真似たのでは、とすら思えてくるから、キアロスタミは侮れない。
時々テヘランの乾いた大地が映る、例によってジグザグの道が。高木がなく、非常に乾いた土埃だらけの風景だ。イランの人が日本に来たら、日本の湿気の多さにもれなく心洗われるだろうな、と思うくらい乾燥している。
土だらけの工事現場で与えられた工事の任務を全うしようと働く工夫、軍の訓練施設からジョギングする兵士の卵たち・・・。自殺幇助候補者だけじゃなく、それぞれの人生「ズィンダギ」が垣間見える。
博物館で剝製づくりを担当する男性との長い会話、その話を聞いてから窓の外の景色に目をやれば、星空を見上げれば。あれ?
そして、イマイチ意図が不明なラストシーンも、巨匠感はある。突然、家庭用ビデオで撮ったようなメイキング動画に切り替わり、え?こう来る?と。
ペルシャ語は全然理解しないが、ところどころ「アライクムアッサラーム」的な挨拶が聞き取れたり、「ズィンダギ」はヒンディー語と同じだと分かったり。