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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

命の価値 規制国家に人間味を

キャス・サンスティーン=著,山形浩生=訳,勁草書房
VSL(統計的生命の価値)の実際の運用が深く知りたくなったので読んだ.実際,アメリカではコンフリクト,そこまでのものはなくても「みんな納得してないんだけどなぁ」ってことはないのかな?と思っていたので.
サンスティーンさんの主張:単純な数字を使って,まずは全体像を把握するのが大事.VSLはみな等しいのが良いとは言っていない.
p.178のカタストロフ的なリスクの扱いについて,興味深かったのでちょっとまとめ.
【以下:要約&引用:
米国人全員が1000万分の一の死亡リスクに直面していて,このリスクが実現したら国民全員が死亡するとする.期待死亡数は30人/年,である.この期待死亡数だけをもって支払い意思額を尋ねたら限りなくゼロだろうが,かといって何もしないのはおかしくないか?支払い意思額の数字で正当化されなくても,何らかの予防措置は取られるべきだ.
こうなってしまう理由としては,個人の行動が「カタストロフプレミアム」「絶滅プレミアム」を反映していないこと.支払い意思額はカタストロフに対する社会的な対応についての適切な指標ではない.】
・要するに,非常に低頻度で影響の大きい事象には支払い意思額を用いた判断は適さないということ.日本の原発事故も(事故の直接影響ではなくなった方はいないが)人々の感じ方という意味ではこの事例に近いのではないか.
・カタストロフの規模や影響がどのレベルであるかが重要な要素である.慢性影響や発がんで,その影響も顕著にならないくらい小さいならば,支払い意思額やVSLを用いた意思決定は十分使える(実際米国で使っているわけだし).

わからなかったこと:サンスティーンのいう「確率無視」は利用可能性ヒューリスティックスと違うらしいが,その違いは?どちらが広い概念か,だけでも知りたい.確率無視とは,9.11テロの直後にテロ対策に極端に大きなお金が割かれた意思決定をいう.これ,直近に起こったから思い出しやすい「利用可能性ヒューリスティックス」じゃないの?