Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

次女,川崎病にかかる

次女が川崎病と診断され,7日間の入院の末,退院した.その顛末記.

2/23 発熱.寝る直前に気がつくが37度台だったので早く寝ることに.
2/24 昼間は平熱だったが夕方に発熱.今度は39.4度だったので座薬をして寝かせる.ぐっすりと寝るが,抱っこをすると「耳が痛い〜」という.右の耳の下がグリグリしている.
2/25 私はつくばへ通常通り出勤.次女は小児科へ.耳下腺炎との診断で抗生剤をもらって帰宅.
2/26 熱が下がらず手足に発疹が出たので再び小児科へ.その場で川崎病の疑いがある,と言われ,総合病院に紹介状を書いてもらう.受診したところ川崎病と診断されて即座に入院となった.6歳以下は24時間付き添いが必要ということだ.しかし私はつくばにおり残念ながら貢献することができない.自由業の夫が時間をやりくりして付き添うことになる.
2/26−3/1 この期間,ほとんど夫が付添を担当した.一番の修羅場は私は見ていない.義母によれば熱が高い時はつらそうだったということである.しかし夫から聞く話ではつらそうということはなくて,点滴のbeep音がうるさいと言って泣いたとか,病院から支給されるパジャマが気に入らないと言って泣いたとか,無理やり履かされた紙オムツが気に入らないと言って泣いたとか….まあ,機嫌が悪いことは事実だったであろうが.
 免疫グロブリン12本の点滴投与は2/27に終了.この点滴交換により夫は寝不足になったとのこと.お疲れ様.熱は2/28にはすっかり下がり,後は点滴のチューブにトラブルを起こさないことだけが至上命題.病室に持ち込んだプレーヤーでDVDを見せてしのいでいたらしい.
3/1 金曜になりようやく私が山形に帰れた.午後4時に病院到着.病室で会えた次女は,少し痩せたようだが病人とは思えないアクティブさ.私の膝でご飯をパクパク食べ,メルちゃんの着せ替えをさせ,アンパンマンのDVDをツッコミを入れながら見ている.回診に来た先生方もリラックスモードで,その様子から私もようやく安心することができた. 3/4まで私が付き添い担当となった.夫は3/4から東京に行かなくてはならず,義母は寺の雑務なので,この体制は必然である.・・・ということで次女と病室に籠城モードである.
3/2 午後に点滴が取れる.あまりの元気ぶりに回診の先生方が苦笑.病院の小児用プレールームで遊ぶ許可が出た.プレールームは次女専用部屋と化し,ボール投げとカルタ取りに付き合わされるハメに.シャワーもOKとなる.先生からは「元気すぎて別の科に行かないようにね(整形外科とか…w)」と言われたorz.

3/3 お雛様が大好きで,家での雛祭りを楽しみにしていた次女.病院で迎えることになって残念だが致し方ない.しかし,お祝いにと出たひなあられをもらって早速食べている次女.そのくせ,病院食は残す.わがまま放題で困る.今日もプレールームを午前1時間午後1時間と占拠.私の体調も良好.個室なのでほかからの感染の心配も少なく,ストレスもなくリラックスできたことが大きい.次女と同じベッドで寝たが,マットレスが上等なので快適で,むしろ普段よりよく寝ることができた.食事も,量がたっぷりなのに加えて次女が食べ残すので私が代わりにご相伴に預かり…栄養もバッチリ(食べて良いという許可はとっているので問題なし.余談だが最近の病院食って美味しい!!!).

3/4 午前の診察であっさり退院が決定.今後は月1で心臓の専門医に診てもらうことだけが義務で,あと生活上の注意とかは何もなし.とりあえず一安心.本人は体力が落ちた様子もなく,翌日から保育園に復帰…

(感想)

子どもはトラブルがいろいろあることを痛感.3人ともこれまで一度も入院したことがなかったので,動揺もあったが勉強になった面もあり,良い経験になったと思うことにする.

夫から職場に電話がかかってきて「ヒナコ川崎病だって,もう入院してる」と聞いたときは頭が真っ白になった.川崎病といえば難病のイメージが強く,同級生の男の子がこの病気のため学校の体育を全部見学していたことを思い出したからだ.

一方で,発熱は土曜日だったから熱を出してわずか4日.早くね?こんなに早い段階でこんなに有名な病名がついたということは,昔はなかった優れた診断ノウハウが確立しているということだ.そして免疫グロブリンの点滴をすでに始めているということから考えても,軽く済みそうだなという予感はした.案の定,ネットで検索してみると(便利な世の中になったものだ!),罹患しましたが後遺症なく過ごしてます,っていう体験談がほとんど.少しホッとした.

とは言いつつも,子どもの病気に予断は禁物である.一刻も早く山形に帰りたい気持ちは募る.こういうとき離れて生活していると心配である.が,気を落ち着かせて仕事でもなんでも目の前のできることをやるしかない.

それにしても医学の進歩は目覚ましい.川崎病は,30年前くらいに免疫グロブリンの大量投与による治療法が確立され,それ以降,生命予後が劇的に改善した,という事実は知らなかった.イメージだけで語るのは危険だなあ,こういう機会でもないと本気で調べないのも一方で事実だけど….一番驚いたのは点滴の針が白くて曲がること.これは少々動いても痛くないなあ.点滴も付け替えるたびにバーコードを読み取っていた.エラーを最小化する工夫だなとか.病室は携帯電話での通話やwifi使用が自由だったのも助かった(全然仕事はできなかったけど).

また,乳幼児医療無料のおかげで,これだけの手厚い処置を受けて数千円しか自己負担がなかった.ちなみに一連の治療の保険点数は約67000点,即ち保険がなければ67万円,3割負担でも20万円である!それがほとんどタダ…ありがとうございます.日本ってなんだかんだあるけどいい国だなあ,ってしみじみ思い,頑張って働いて所得税住民税納めるぞ!と胸に誓ったところである.