Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

5ヶ月後の被災地を巡って見たもの

仙台に出張する機会があったので,被災地を見てきた.忘れないうちに感じたことを書いておきたい.あくまで個人の感想であり,不快に思われた方があれば,どうかお赦しください.

名取市閖上地区>
海岸線から3km入ったところに,いきなり漁船がゴロンとしていてビックリ.地区内の幹線道路は通行止めになっていたので詳細は見ることが出来なかった.しかし,海岸から1kmのところにある集落は,農地の中に農家が点々と存在し,ところどころ住宅街という地域のようだ.家という家は略奪にあった後のようにガラスや扉が破壊されていた.カーテンがひらひらしているのが外から丸見えで痛々しい.

仙台市若林区荒浜地区>
小学校があることからもわかるようにかなりの人口がある集落だったようだ.しかし見渡すかぎりただ,荒地.海岸から1km,ここも家は閖上地区と同様,住めそうな建物はひとつもなかった.2階は無傷,1階はぶちぬきのシュールな家々.被災家屋の取り壊しはほとんど進んでいなかったが,さりとて人が生活している様子はもちろん見られず,映画のセットのような光景だった.産業廃棄物(がれき)と廃自動車の集積場があった.がれきの高さは15mくらい,相当な量だ.廃自動車は整然と並べられ,積み上げられていた.こういうところに日本人の仕事の丁寧さが出る・・・
老人ホームの廃墟も映画のセットのようだった.ここの利用者さんたちの命が救われているとよいのだが.
周辺は水田で,水田の泥が大きく引き波にさらわれていたところもあるし,流木がゴロゴロしているところもあり,様々だという印象.震災から五ヶ月たっていたので,更地に雑草生え放題,臨海副都心で売れ残った土地(世界都市博中止で計画が大幅に変更になった直後の臨海エリアを見たことがあり)のような閑散とした風景だった.

仙台市若林区六郷地区>
排水機場が破壊されて水田の排水ができず作付が困難,という情報があったので行ってみた.ポンプが水に浸かってダメになってしまったのだろうか,現物を確認することは出来なかった.ここは,海岸から4km.浸水した場所とぎりぎり浸水しなかった場所が入り交じっているようだ.ここまで来ると瓦が落ちていたりそれを修復していたりと,津波よりも地震の影響のほうが目に見えやすくなっている.家の庭先には洗濯物が干され,おじいちゃんが散歩したりしていて,1km隣の地区とはまるきり別の光景が広がっている.

<高速で石巻へ>
石巻へは45km,1時間程度かと思ったら1時間45分かかった.まず,仙台市内を抜けるのに時間がかかった.震災の影響で中断していたであろう市営地下鉄の工事が急ピッチで行われているようで,その影響で2車線が1車線に規制されていて渋滞が起こっていたらしい.三陸自動車道もスピードの出にくい10トントラックや重機輸送車などが多いためか,ところどころ渋滞していた.が,流れは思ったよりスムーズで,なにより東北の夏の風光明媚な景色.ちょっと前に見てきた閖上地区や荒浜地区の光景は夢なのではないかと思った.

石巻市街地>
石巻港ICを降り,国道398を東へ向かう.ヨークベニマルは開店の見込みがたってないようだった.国道沿いを走っていると津波にやられたのかは一見ではわからない.5ヶ月たち,資金力のある店はリフォーム?と思うくらい新装開店しており,その一方で資金力のない店はベニヤ打ち付けの閉店状態,すなわち倒産したの?という外観だからだ.家のフェンスもぐにゃりと曲がってそのままのものもあれば,修理しているものもある.石巻駅前の大型店舗(現在は石巻市役所になっているようだった)は1階が浸水の影響か閉鎖,でも商店街全体で見ると復活に向けて気丈な心意気が伝わってきた.人が生活しているってやっぱり元気づけられる.もう少し南部の海岸沿いに出てみたら,これがひどかった.駅前は丘に守られて波が穏やかになっていただけだったのかもしれない.海岸沿いは建物が根こそぎ持ってかれたという感じ.残った家も1階がぶちぬき,場合によっては2階のガラスも割れていた.立派な寺があったが,屋根が無事で1階がやはりぶち抜きだった.
しかし,ちょっと(3km)内陸に入ると被災地って何?という感じで全く平常の生活を送れる地区があった.市内でも格差を感じずにはいられなかった.この点にもショックを受けた.
石巻は予想していた以上に大きく,豊かな街だった.人口16万人,これは結構多い.港湾,漁港,工業,教育と充実して,さぞかし住みよいところだったのだろう(冬は雪も降らないし夏は涼しいし,食べ物はおいしいし).

<女川町中心部>
時間ギリギリだったがせっかくなので女川も見ておこうと思い,さらに東へ.国道398が途中,石巻線と平行して走る箇所がある.この石巻線は,津波はおろか満潮でも水没するのでは?と思ったくらい海岸沿いを走っていた.さすがに,この路線は大丈夫かな〜(今後復活することはないかも・・・)という気がした.石巻線は線路はあるが枕木がないところも多かった.
さて,山を下るかな〜と先を見たら突然女川の街が開けた.しかし空襲にあったような,ゴジラの襲撃を受けたような凄まじい光景がそこにはあった.これまでと大きく違うのは,津波の高さ.ビルの4階まで水がきたことがすぐにわかった.また鉄筋コンクリートのビルがコテンと横倒しになっていた.津波の巨大なエネルギーに言葉が出なかった.街全体が完全にがれき状態,生活できるような状態では全くない.しかし,女川町立病院だけはその機能が復活しフル稼働しているように見えた.高台に建設してあって本当に良かった,たぶん多くの人の命を救ったと思うから.
女川は,人口1万人にしては,すごく豊かに見える(比較基準は人口3万人の長井).デパートのような建物や,市役所,大きな建造物(の残骸)が目に付くが,コンクリートのビルが人口に比して多いよう気がするのだ.そして地元の人が結婚式や法事で使う催事場(の残骸).漁師さんたちの金遣いの良さが伝わるような家(チェックポイントは鬼瓦と,1階がぶち抜きになっている家の欄間.目を伏せながらもこっそりチェックした.大きい家ではないが床の間や欄間に相当なお金をかけられる経済状況であることがわかる).豊かな水揚げのある漁港,水産加工業,そして女川原発で資金的にはゆとりのある街だったに違いない.石巻線第三セクター化してない(乗車率低そうだが),それを考えても経済活動が相当活発だったという証拠だ.
家といえば不思議なのは,高台で,”ある家は全壊,そのすぐ隣の家は無傷(もう生活してる)”という光景が多く見られたこと.これらの差はなぜ生じたの?家の古さ新しさだけではない,ここまでくると何か運命のようなものを感じざるを得なかった.
これは私見だが,女川の人々はこの豊かな海沿いから絶対に離れないだろう.私でも住み続けると思う.海は何物にも代えがたい大きな恵みをもたらしてくれるから.漁師さんたちが町立病院と同じ高さの高台に住むか?おそらく答えはNOだろう,行政がどんなに注意喚起しても.それが海を仕事場にする者の意地というかこだわりというか愛みたいなものだからだ.
海沿いに住み,津波の時は家は流されるもの,人間は高台に逃げるもの・・・そう思って腹をくくって生きて行くんだろうか.答えは今は出せない.

いろんな意味で頑張って見てきて良かった.彼の地に住む人々と,彼の地から移動している人々の笑顔が一日でも早く戻りますように.仕事で震災関係のテーマが来た場合にはこの風景を思い出し,机上の空論に走らないように努めたい.