Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

ドイツ家族旅行記2日目

7月30日(金)クアラルンプール〜フランクフルト〜ツヴァイファル〜アーヘン
クアラルンプールからの飛行機は朝7時過ぎにドイツのフランクフルトに着いた.ヨシコおばさんの息子である,従兄弟のコウ(ドイツ名はJonas)くんが迎えに来てくれた.ヨシコおばさんの夫(ヴァルフリートさん)のお母さんのマリアさんが住む,ツヴァイファルに向かって移動.しかし距離にして200km,こんな距離を送らせるなんて悪いなあと思いつつもコウくんは全く問題ないようだ.ドライブ好きらしい,いやもっと平たくいえばスピード狂だった.車はHyndaiのFOOSEという聞いたことのない車だったが,ドイツ名物アウトバーンを走るスピードは常に100km以上.夫と私は震え上がり,後部座席ですでに爆睡していた子どもたちのシートベルト着用を確認.しかし,だんだん慣れて,ちっとも怖くなくなってきた.風力発電用の風車がガンガン立ち並ぶ景色の中を時速150kmで移動.
と,私の携帯が鳴った.日本からの電話がつながるようにしてあるんだった.いやな予感は的中し,檀家さんが亡くなったという義母からの知らせ.本来なら夫が執り行う葬儀だが,夫は慣れたもので,素早く代理での葬儀を隣のお寺さんに頼み,戒名を考えて義母に連絡.こういうテキパキさもどうかと思うが.夫が海外に行く時に限ってお葬式がでるのはどうしてだろう.
さて,ツヴァイファルでは,肝心のマリアさんは体調不良ということで会えず(子ども連れでいきなり訪問すると疲れてしまうとのこと).隣に住むエリカさんを訪ねることに.エリカさんも親戚だが,どういう家族関係だったかは失念.80過ぎくらいで一人暮らしは心細いかもしれないけど,足を引きずりながらもかくしゃくと暮らしていらした.築100年以上であろう石造りの家はどの部屋もきれいに整頓されていて,水周りもピカピカに磨かれていた.週に2回くらいヘルパーさんが来てくれているんだって.食事の配達も頼んでいるらしい.
エリカおばさんは,英語は全く理解出来ないそうだ.うちの子たちや私のしゃべる怪しげなドイツ語は全然通じず、"Bitte?"を返され続けた.が,最後にはダンケシェーンがやっと伝わり.笑顔で握手して分かれる.夫はドイツ語でおばさんとしゃべっていたが,やはり何回か聞き返されていたので耳が遠いのかもしれない.カイゼル髭の男性を中心にした大家族の写真(1920年頃の撮影?)をエリカおばさんは大切にしておられた.一人では何かと寂しいだろうなあ.コウくんが時々帰ってきてるみたいだけど.
ツヴァイファルのお宅をあとにして少しドライブ.近所にあるローマ時代に造られたであろう砦の上を歩いて記念撮影した.長女と長男で冒険ごっこをして楽しんだ.古代ローマの遺跡も,いまやドイツの若者のバーベキューの場所になっているようだ.
我々は近くの大都市,アーヘンの中央駅の近くに一泊して鉄道で南に移動という日程だったので,コウくんにそこまで送ってもらう。食事もアーヘン大学の学生街なら安いということで,みんなでランチ.イタリアン&メキシカンの店へ.ラザニアは思ったよりデロデロではなかったが,味が濃い上に量が多すぎ.家族4人で2人前で十分だった.
ここでコウくんとお別れ.彼は我々の案内をもう少ししたかったみたいだったけど,夏学期の試験中ということで勉強に専念してもらうため(笑),あえてお別れを.アーヘン駅前には簡素な宿が何軒かあり,3軒回って一番安いところに決定.交渉係は夫.
駅前で適当に夕食用のパンや中華料理のテイクアウトを買って部屋へ.部屋でくつろいでいたら夫とともに疲れが出て,ベッドで爆睡してしまったため,その日のうちのアーヘン市内観光はならず,無念.大人たちがそんなにダルダルで,子供たちのどっか行こう攻撃を適当にかわしていたら,今度は子供たちが夕食を食べずに爆睡してしまい,結局着替えも歯磨きもせずに朝まで寝かせてしまった.案の定,子供たちは朝4時半に目覚めてしまい,腹へった攻撃で私が無理やり起こされた.
宿泊:Doppel Zimmer,50ユーロ.
食事:朝食は機内,昼食34ユーロ(コウくん分も),夕食とジュース14.5ユーロ.
その他,ガソリン代60.13ユーロ