takehiko-i-hayashiさんのエントリに触発されて私も書いてみた.お書きになっているとおり,誰かに聞いてほしい「不安な人々」って少なからず存在する!って最近激しく思うから.
面白いのは,情報をよく取り入れて”勉強している”人ほど不安が大きい(かもしれない)ってこと.
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私も一応リスクの専門家ということで,原発事故が起きてから相談されることが増えた.
大学時代の友人(北関東在住,子持ち)から,久しぶりに電話がかかってきたなあ〜と思ったら,放射能のリスクの相談だった.
「うちでカキナ作ってるんだけど食べるのやめたほうがいいのかな?」
から始まって
「仕事やめて移住しようかな」(彼女はその地でしかできない職業についているので,移住=失業を意味する)
「飯舘村はどうして避難していない人がいるの?」
とか,話題は多岐に渡った.
久しぶりの勢いも相まって30分は軽くしゃべる.私はず〜っと聞き役.
その友人,私にひと通り話したら落ち着いたみたい.聞くだけでお役に立てるなんておいしい経験だわ.
すぐ自分の考えを言っても良かったんだけど,私は,そこまで放射線に詳しいわけでもなく,最新情報をかじりついて仕入れているわけでもなく,信条があるというわけでもなかったので,人の話を遮ってまでコメントするのもねえ,って感じだったので.
私のコメントは以下のとおり.
まず,友人の言葉を受けて「不安だよね,やっぱり.特に子供いるしね」「でも,私だったら今までと全く同じ生活を続けるな」と.そしてここからは少し仕事の経験を活かして・・・.
岡先生の論法をお借りして
「まず,以前より放射線量は上がってるから覚悟を決めよう」
そして,
「どの位なら自分的にガマンできるか考えて,そのレベルまで放射線が上がってきたら行動に移すか決めとくといいかもね」
「このへんの数値については〇〇というサイトを見れば出てるよ」
「そして行動に移すとしたら具体的にどうするか(どこに避難するとか)決めとくといいんじゃない?」
ってアドバイスした.
これは,仕事の経験もあるけれど,自分の体験からくる考え方でもある.子どもが病気になったときに備えて,私が普段から常に行っているイメージトレーニングと全く同じスキームだ.「保育所に入れると子どもが病気をもらいやすくなる,じゃあ働かない.」という極端な行動ではなく,いや,どこまでなら許容できるの?と毎日毎日自問していた,その経験が少し役に立ったかな?
でも,実際リスク管理って日々の生活の知恵そのものかもしれない,と思ったりする.