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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

ニュー・シネマ・パラダイス(完全版)

G.トルナトーレ=監督、1988年イタリア・フランス(クリスタルディ・フィルム)
J.ペラン、フィリップ・ノワレ
この映画、好きすぎて、短縮版(インターナショナル版)と完全オリジナル版(以下、完全版)を、映画館で合計5回くらい観ているのであるが、また映画館に行ってしまった。理由はサウンドリマスター版だったからで、音楽のよさを最大限に引き出した演出にした、ということを聞いて、とてもワクワクしつつ劇場に足を運んだのだ(池袋・新文芸坐さん、本当にありがとうございました)。
この度、サウンドリマスターは179分の完全オリジナル版で実行、という一択だったそう。理由は、モリコーネのスコアが完全再現されていたからとのこと。想像をはるかに超える音響体験だった。
ちなみにインターナショナル版は124分。どんだけカットされているんだ(劇場で数回見ると、どこがカットされたかも完全に言えるようになるが)。

で、30年好きであり続けて改めてわかったことは、インターナショナル版と完全版は全く別の映画であると認識したほうが良いということ。インターナショナル版は、いうなればアメリカ映画。ポイントを絞り、起承転結をはっきりさせて、音楽の魅力を際立たせている。これで、世界中で興行的に成功したのだと思う。一方で、完全版は、複雑なものを複雑なまま描き、人生の苦さや深みに光を当てた、典型的なイタリア映画になっているのだ。初めて映画館で(完全版を)観た大学生の私は、美しい音楽と、50年代のシチリアの温かく懐かしい風景と、クラシック映画のレトロな映像(たとえば、ヴィスコンティの「揺れる大地」とか、ジョン・フォードの「駅馬車」かな、西部劇映画とか)と、そして少年時代のトトの可愛さにすっかり騙されていたが、トルナトーレ監督が描きたかったのは、そんなもんではなかったのだ。
年を経て完全版を観ると、残念な人生をそのまま受け止める、全くスカっとしないイタリア映画の典型と思える。例えば主人公のトトは、大人になっても初恋のエレナが忘れられず、ストーカーと化す未練がましいやつで、しかもそれも人生なのだ。これが完全版の主題・・・これに今回気が付いた私は、俄然、完全版の方が好きになった。そう、ようやっと最近フェリーニの面白さに気が付いたように、私も成熟していく、成長することができる、ということに気づかせてくれた。若い頃観た、しかも何度も観た、だからもういいや、ではない。自分も変化する人生を楽しまなくては。ということで人生って面白いけど忙しい。うかうかしていられない、この調子で行くと、まだまだ観なければならない映画がたくさんあるから。

さて、もう一つ気付きを。イタリア語やイタリアの歴史も少しわかるようになって、オカピート!そうだったのか、な点がめっちゃあった。50年代、60年代と豊かになっていくシチリア。ジャンカルド村も例外ではない。映写機器が進化していく様子で実にさりげなく描かれている。40年代、WWIIが終わって、トトの父親が戦死したこと、赤狩りの話、級友がドイツに引っ越すこと、シチリアよりもナポリは豊かで、賭博が大当たりして金持ちになるのはいつもナポリ野郎であること。
また、以前は気が付かなかったのが、トトの母親が隠れた主人公かも、と感じたこと。私も母親目線から観ていることに気が付いてその点にもびっくりしたが、母親は、映画の流れを握る重要なことを、いとも簡単にずけずけ言うのだ。「飛行機でシチリアとローマは1時間。それなのにあなたは30年も帰ってこなかった」。このセリフの重みは、完全版でないと伝わらないのだ。すごい映画だな、これ。
もちろん、初めて観たときから大好きなエンディングは、今回もまた同じところで号泣した。その点では、私は成長していないのかもしれない(笑)。