Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

ドライビングMissデイジー

ブルース・ベレスフォード=監督、1989年米国
モーガン・フリーマンジェシカ・タンディ

48年、夏。長年勤めた教職を退いた未亡人のデイジージェシカ・タンディ)は、ある日運転中に危うく事故を起こしかけ、母の身を案じた息子のブーリー(ダン・エイクロイド)は、彼女の専用の運転手としてホーク(モーガン・フリーマン)という初老の黒人を雇う。しかし典型的なユダヤ人で、元教師のデイジーには、運転手なんて金持ちぶっているようで気性が許さなかった。どうしても乗車拒否を続けるデイジーは、黙々と職務に励む飄々としたホークの姿に根負けし、悪態をつきながらも車に乗ることになる。こうして始まったデイジーとホークの奇妙で不思議な関係は、1台の車の中で、やがて何物にも代えがたい友情の絆を生み出してゆく。そして25年の歳月の流れの中で、初めてホークはニュージャージー州外を旅し、またデイジーキング牧師の晩餐会に出席したりした。いつしか頭がボケ始めたデイジーは施設で暮らすようになり、長年住み馴れた家も売ることになった。しかしデイジーとホークの友情は、変わることなく続くのだった。(映画.comより。引用しておいて指摘も申し訳ないが、舞台はニュージャージーではなく、ジョージア州。ここ、重要)

ハートフルコメディーなんかでは全く無い。第二次大戦後の、アメリカの発展の歴史とともに、人種差別問題の歴史がコンパクトにまとまった、教科書のような映画と理解した。
1948年から1970年代前半までのクロニクルであることが、製造業の装置や家庭の電気製品が置き換わっていく様や黒人の描かれ方の変化でわかる仕掛けになっている。これは、アメリカの来し方行く末を振り返るのが好きなアメリカ人から人気が出るのではないか。車はクライスラー(ウインザー)→ハドソン→キャデラックとか(車の銘板もしっかり映される)。
というわけで、テーマはかなり重い。
舞台は、ジョージア州アトランタ。典型的な米国南部。モーガン・フリーマンの訛が聞き取れないことは想定内だが、白人たちも相当訛っているのは想定外だった。
主人公のMissデイジーユダヤ系で「昔は貧しかった」が今は教師を引退し優雅な暮らしをしている。デイジーの夫は綿布工場「Wathern Industry」の創業者らしく、豊かな暮らしは一代で築いたことがわかる。Wathern Industryは息子のブーリーが社長を継いでいて、ブーリー一家もまた申し分なく豊かな暮らしをしている。後に「妻が共和党の集会に・・」という台詞が出てくるのも超わかりやすい。
デイジーの家でおばあちゃん4人で麻雀をしているシーン、この4人は教会メイトでもあるから、全員がユダヤ系だとわかる。
長年仕えている黒人のメイドは銀器磨きをしていて、「風と共に去りぬ」っぽい南部だなあ、とこれもわかりやすい。デイジーは「私は人種差別主義者ではない」という発言するがそれと裏腹に、メイド然り、ホーク然り、デイジーと一度も食事を同じ場所で取っていない。偏屈ばあちゃんが一人で食事を取っているようにも見えるけど、両者の間には歴然たる壁があることが手にとるようにわかる。「人種差別主義者ではない」と発言すること自体、相当な差別主義者であるという、、、難しいね。メイドさんが亡くなったときの葬式はクリスチャン式で営まれるのだが、聖歌隊の見事なゴスペルが歌い上げられる中、白人がデイジーとブーリーのたった2人しか出席していない(それも最後列に)。そしてそれが自然であるかのように描かれるあたり、人種隔離政策の罪深さを感じた(この絵面、今の人ならまっさきに違和感持つだろうから)。
60年代の描写で、アメリカの人種差別に関する変化が描かれる。まず、KKKによるシナゴーグの襲撃。ここでユダヤ系もアメリカでは差別され、攻撃される対象であることが共有される。そして、公民権運動、人種差別撤廃と社会が変わるなか、あの有名なキング牧師の演説。友情が芽生えていたデイジーとホークなのに、同じ場所で聞くことができない。罪深いよ。

面白かったのは、アトランタからアラバマ州モービルまでのデイジーとホークのドライブ。ホークは「ジョージア州を生まれて初めて出た」とまさかのカミングアウト、しかし直後に「アラバマ州には何もない」という爆弾発言。私はアラバマ州が一部メキシコ湾に面している、という事実を初めて知りました。恥ずかしや。
映画のテイストとしては「フライド・グリーン・トマト」に似ている、と観終わってから気づいた。私の好きなジャンル。市井の人の、淡々とした日常を覗き見しているような映画、好きなんだよなー、共通点はそれかな、と思ったらなんと、ジェシカ・タンディが「フライド・グリーン・トマト」にも出ていた(全然気が付かなかった)。それも似ていると感じた理由なのだろう。