Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

東大全共闘vs三島由紀夫 50年目の真実

豊島圭介=監督、2020年日本

三島由紀夫、芥正彦、木村修、橋爪大三郎平野啓一郎内田樹
やっぱりドキュメンタリーでしょ、ということで次は、去年観そびれた三島由紀夫
1969年5月13日。東大全共闘三島由紀夫駒場の900番教室に招いて公開討論会を行った。TBSがその様子をフィルムに収めていた。画像も音もそんなに状態が悪くなくて、TBS、GJ!
公開討論会と、当時を知る者の証言で構成されていて、ドキュメンタリーにしては少しフィクション感のある構成だった。時代背景を説明するために挿入された、当時の映像は助かったし、この部分だけでもかなり面白かった。学生運動は、実際に起こったことなのに今から思えばドラマ的で、あの時代が全てフィクションだったような錯覚を覚えた。
討論。もちろん三島由紀夫もかっこよかったのだけど、芥正彦が光っていた。一発で惚れそうになった。当時結婚して子供もいて、そのお嬢さん(0歳?)を討論会に連れてきてた、雰囲気を柔らかくする意味があったようだけど、その赤ちゃんが(たばこの煙もうもうとした中で可哀想だったけど)、ほんっっっとにいい子なの。可愛いし、泣きもせず、キョロキョロしている。他の学生(お兄ちゃん)に抱っこされても平気。それだけでこの映画120点。
もう一つ、高得点ポイントは、この討論会の取材を許された新潮社のカメラマン。スチールにもある三島の顔、眼光鋭く素敵に撮れている。よくぞこの写真を残してくれた。感謝。
討論自体も、緊迫感があり良かった。言葉の一方的な投げ合いじゃなくて、お互いの言葉を拾ってラリーをつないでいる。高度に知的な営みが、すこしだけ野蛮な言葉で行われていて胸熱。この時代に生まれたかった(あのタバコモクモクはやだけど)と思った。
東大全共闘三島由紀夫、左翼と右翼で全く共通点がないのかと思いきや、なんと共通の敵がいたのだ。「闘うべきは曖昧で猥雑な日本」、シビれたよ。言葉は熱情=エネルギー、有言実行。美しいまま、いつ何時散ってもよい(死ぬ覚悟がある)、と語っていて、それが自決につながっていたとすれば、市谷自衛隊でのあの行動も、彼の中では筋が通っていたことになる。
平野啓一郎が三島について、「太平洋戦争で生き残った疚しさを独自の形で昇華、転化させた」と語っていたことは興味深い。三島は美を追求していたことは知っていたけど、美の方向性が、概念的なものじゃなくて真の美というか、たとえて言うなら「婦人画報」(高級婦人雑誌)と相性が良さそうな感じ。「天皇とは概念であり」、これも今なら納得がいく。
盾の会についても時間が割かれていた。私は単に「なんとなく得体のしれない右翼の会」くらいにしか思っていなかった。しかし、ストイックに軍事訓練を行い、(学生運動により)革命が起こっても、共産主義になるのを武力で食い止めようとしていた、という理念。三島と一緒に自決した青年は気の毒としか言いようがないが、それがその時代の空気だったから愚直に空気を吸っただけ、と言えるような気もする(誰が彼を非難できようか)。
****
900番教室。懐かしかった。私がいたのは1969年5月から数えると23年後。今から29年前。私が駒場に通っていた時から現在までのほうが長くて驚愕してしまった。リフォームされてしまったからか、現代の900番教室の映像を見てもピンと来なくて、1969年のほうが私が知っているそれだった。夏の授業はとにかく暑くて不快だった。端に人がいると中に入れないあの長机。ストッキングがもれなく伝線するささくれだった椅子。
そこに、三島由紀夫がほんとうにいたんだ。