Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

立ち位置

仕事が煮詰まったので,近くで開催された学術講演会を聴きに行った。内容は大して面白そうでもなかったが,いろんな人が自分の研究を語っている姿は,自分の研究のスタイルやポジションを冷静に考えさせてくれる。本当に忙しいとこういうことすらできず,どんどんドツボにはまっていくのが経験上分かっているので,自分をコントロールする機会があるのは,やはりいい職場(上司)に恵まれていると感じる。ただし上司に「そんなことしている余裕あるの?」という文脈のことを言われていたが。いや,余裕がないから行くんですよ。
うちの研究所の研究スタンスとは異なる研究者の集まりで,当然,発表者に突っ込みをどんどん入れることができる。そういう中で,研究アイディアが浮かぶこともある。
気が付いたことは,環境問題はあまりに取り扱う範囲が広いため,また,身近なキーワードを元に科学と縁遠い人にも入りやすい入り口となっているため,科学者自身が専門に取り扱っている「極端な例」と身近な一般的な例とを不当に結びつけて,警鐘を鳴らすことが非常に容易な学問である,ということだった。特に,税金の使い方に対して国民の目が厳しくなっている今は,国民の関心を引き寄せるのにキャッチーなコピーで自分の研究を正当化しようとする。なんて分かりやすい。
国民は,いたずらに不安になっているが,「では何をするべきか」という問いに科学的な答えが用意されておらず,「私の研究を推進させて,ちょっとずつ解明していきましょう」という科学者の主張に負けて税金を投入する,という構造になっているのだ。