Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

動物実験代替法としての組織培養モデル

標記の件に関して、酒井康行先生(東大生産研)の講演を拝聴する機会に恵まれた。
組織培養モデルが研究されている背景は、動物実験の縮小という世間の要求が一つ。一方、動物実験ではブラックボックス的要素が大きすぎて毒性発現メカニズムの解析が難しい、という問題もあり、そのギャップを埋めるツールが必要だった。そこで酒井先生の研究〜〜〜(略)。
テクニックの話は、残念ながら知識不足で付いていけず。一応私も、バイオリアクター開発に関しては連続運転とモデリング経験者なのだけれど、過去の話かも(遠い目&涙)。

細部はそういう感じだったのだが、いただいた資料にあった文章に深く頷いてしまったので引用。
個別の動物実験代替法の開発に対して、

”そもそも理想的な非動物試験とは何か”との根源的な問いかけから出発した考え方も提唱され始めている。

酒井(2010)、化学工学74,p.1-4より。
私の勝手な印象だが、従来の動物実験代替法は、”手当たり次第”試した結果、手に入る環境で比較的安定した結果がでるもの(その細胞がたとえ細菌であっても・・・)を採用したような、歴史を知らないとぜんぜんついていけない感じ。平たく言うとエレガントじゃないなあ、と思っていたから。何でAmes試験はサルモネラ菌使うの?って。(もちろん先駆者の並々ならぬ努力には多大なる敬意を払っております、Ames先生すみません)
ボトムアップ的手法って、積み上げていって大きな矛盾に突き当たったときは悲惨だ。どうすればよいか多くの人が路頭に迷うよね、今までは何だったの、って。そこですっごく賢い人がでてきてすっきりと説明できればいいんだけど(そうならない場合も多いし)。
だから、動物試験代替法もそうなる前に別のルートが用意されている(され始めている)、これは歓迎すべき流れだなと、勝手にうるうるしていた(<-大袈裟)。もちろん、計算機科学がどんなに発達しても”完全な”ヒトモデルを作るのは無理だし、”かなり使える”のが世に出てくるのも相当先だ、ってことはわかっている。
ただ、こういう「理想的な非動物試験とは何か」を考える、そのアカデミックな姿勢を自分としてはしばらく忘れていたので自分の心の動きを記録する意味でメモした次第。