パオ・チョニン・ドルジ=監督、2019年ブータン
原題:Lunana: A Yak in the Classroom
製作:ステファニー・ライ←こういうところにも中国(台湾?)資本が入っている!
シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・へンドゥップ、ケルドン・ハモ・グルン、ペム・ザム
キネマ旬報シアター(柏)にて鑑賞。生涯2回目のブータン映画。20年ほど前に「ザ・カップ~夢のアンテナ」を見て以来。
さて、この映画、これは国際的に賞を取る、と思ったわ。チャン・イーモウの「あの子を探して」にめちゃくちゃ似ている。全然啓蒙色がないのだが、いつの間にか啓蒙されている。
ブータンで一番の僻地、すなわち世界で一番の僻地に教師として赴任せよと言われた若者、ウゲン。果たしてその村、ルナナに赴任するのだが、はじめ全くやる気のなかったウゲンの中で何かが変わり始める。
ストーリーは割と単純で、特段大きなイベントが起こったりはしない。しかし、私はこういう映画に弱く、始まって5分で泣き、それからずっと泣きっぱなし。
人口10万人のティンプー(クラブで若者が歌ったり踊ったりで夜遊びしている)が、なんとまあ大都会に見えることか。
ティンプーからルナナ村に行くまで8日かかる。字幕を2度見してしまった。8時間じゃなくて、8日?!
ティンプーから最寄りの(車が通れる)町まで1日、そこで一泊して、後は徒歩で7日。途中は、最初の1日だけ山小屋(ちゃんと番人家族がいる)、後はキャンプ。ここでもう、なぜか涙腺崩壊。。。
移動するたびに、字幕で地名と人口が出る。山小屋のあった地区(地名は忘れた)は、「人口3人」、マジか。
ルナナ村は「人口56人」。これもマジか、なんだけど、ここに学齢期の子どもがなんと8人もいて、学校(建物)がある。それも泣ける。日本だったら若い人ほど山を下りているよね。
僻地にこんなにたくさんの子どもがいる意味。子は宝で、子どもを大事にする人々の心は豊かなんだということ?いや、それが違う。教育環境が貧弱だから引っ越しできれば良いが、貧困のために他に選択肢がない、という説明のほうがむしろ正しいのだと思う。すごく考えさせられる。
ルナナ村の仕事はヤクを飼うことくらいしかない。
村長が秀逸。ウゲンが、ルナナ村を一刻も早く出たい(理由は「こんな田舎じゃやってらんない」というわがままなものなのに)、と言ったら村長は「わかりました。町へ帰る手配します」というのよね。怒ったりがっかりしたりすることなく。これも泣けて泣けて。
歌手を夢見てオーストラリアにわたる計画だったウゲン、ルナナ村の歌姫に「ヤクに捧げる歌」を教わるあたりから、村での生活をかけがえのないものと感じ取っていく、描き方は、映画の基本だが単純に泣けた。
ブータン語は、全然わからなかった。時々ヒンディー語っぽいんだが。あと、英単語が時々出てくる、これはヒンディー語でもそう。ルナナから町までウゲンを迎えに来た気のいい男性ミチェンは「昔はここは年中雪に覆われていたのですが」というとgrobal warmingというウゲン。それに対し「私は先生と違って難しいことはわかりませんが」と返すの、よかったなぁ。地球温暖化という単語を知っているかどうかで人間の優劣が決まったりしないんだよなぁ・・・