濱口竜介=監督、2021年日本
西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、岡田将生
岡田将生がめっちゃ良かった。性格破綻者で変態の俳優という重要な役を、かっこよすぎず、むしろかっこ悪く演じてしまうという。せりふ回しも◎、「本当のことを言っていると」私もそう思った。
そして、この映画の真の主人公は三浦透子が演じる渡利みさき。ラスト、服装の色が明るくなり、表情も柔らかい。希望を感じさせてくれた。
韓国手話の彼女とその夫のほのぼのとしたカップルのエピソードも良い(夕食をごちそうになるシーンで、不覚にも涙がこぼれた)。
西島秀俊は、正直、期待したほどではなかったかな。もちろんとっても良かった、それ以上に周りの役者が最高だったから。
『ワーニャ伯父さん』のラストシーンの目線は、その先のものを見せていて、感受性の低い私にも見えちゃった。家福の、前半煮え切らず、人生から降りているような感じも良かった。台詞は棒読み、これも監督の意図だったんだろうな。だからこそラストとの対比が強烈というか。
ただ、村上春樹の女性の描き方は、ちょっと単純すぎるきらいがある。神格化しすぎ。それが西島秀俊演じる家福にもちゃんと投影されていたことは、すごい。濱口監督の手腕もそうだし、西島さんの演技力のたまものという意味でもそうだと思う。しかし、女性を憧れの対象とみる視線自体、遠慮したい。。。という気分なのだ。他人をもっと知りたい、全て知りたい、わかり合いたいとか、甘ちゃんの戯言だよね?
誰にだって他人の心の中は本当は判らないし、他人に覗かれたくない部分があってもよい。分かり合えなくても心地良い世界は作れるし、そう努力すべきなんじゃないの?言語化できる部分には限界があって、もちろんノンバーバルコミュニケ―ションにも限界があって、相手に秘密や嘘があるかもしれない。でも一緒にいて、相手を尊敬して、じわじわと幸せを感じる。そういう包容力を持って生きることが、我々に試されているのではないか。そう考えると、村上春樹の女性の捉え方はナイーブなんじゃないかと。男の人が最後まで死守したいドリームみたいなものかもしれないけど、私はそういうものは、苦手なんだよな。
そういう意味で、分かり合えなくてもシンプルに人を信じること。自己完結な思いであってもそれをシンプルに他人にぶつけること。それができていた韓国人カップルには、ひどく心を揺さぶられたのであった。羨ましい。
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この映画、俳優たちも良かったが、車も良かった。Panで遠ざかる赤いSaab。車のCMかと思った。
そしてロケ地(広島)良かった。動線の説明のセリフで、もしや、吉島の清掃工場では?と思ったら当たり。あんなにかっこよくリニューアルしちゃったのか。みさきが一番好きな、他人に見せたい場所がごみピット!私もプラント見学大好き人間で、小学校4年生の時に行った安佐北区の清掃工場を思い出した。なぜか、ゴミがばらばらにされてクレーンで掴まれてボイラーに投入されるのはずっと見ていられるのだ。
勿論、家福の独自の演出のチェーホフの舞台も良かった。練習風景もずっと見ていられる。
多言語+手話の演劇。多言語の同時発話演劇と言えば、そう、平田オリザ「東京ノートinternationalバージョン」。2年ほど前、吉祥寺に観に行ったことを思い出す。エンドロールにも取材協力として青年団のクレジットが。
個人的には中原俊『櫻の園』(1991)を観たときからずっとずっと、チェーホフから不思議な熱を感じ、当てられたようになっている。なんとなく貧乏くさくてスケール小さい気がするんだけど、真実が詰まっていて好き。やはり、チェーホフしか勝たん。
あと、冒頭はなんとベケットの『ゴドーを待ちながら』の舞台。演劇好きには何ともたまらない映画だった。