Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

原爆の日に思うこと

広島市で小学校時代(1年-5年生)を過ごした私には,8月6日は特別な日だ.
広島市では,この日の午前8時15分に,道路を走っているすべての自動車が停まって1分間の黙祷を捧げるが,これには初め驚いた.小1のときは意味がわからず,家から県道を眺めてて町が死んだのかと思った.そして,その後ゆるゆると走りだす車に,なんだかぞくぞくっとした.35年経っても(当時,昭和55年)原爆が大きな影響をおよぼしたことはみんな忘れてなくって,一瞬だけあの日に戻る儀式なんだ,って後から気がついた.
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広島の平和教育の徹底ぶりは,今思うと強烈だった.
平和祈念資料館には普通に行くし,いま話題の「はだしのゲン」は学校図書館に唯一置いてある漫画だったので,クラスの全員が暗記するほど読んでた.♪ふ〜る〜さ〜との町焼かれ♪と「原爆許すまじ」をクラス全員が歌えるのも,よく考えるとすごい(もちろん私も今でも歌える).
4年生の学習発表会では平和がテーマで,学年全員で原爆に関する劇をした.フォークソングの「戦争を知らない子供たち」も劇中歌だったので歌える.
5年生の時の夏休みの宿題は「近所に住む原爆体験者の方から原爆投下直後の様子を聞き取ること」だった.私が住んでいたのは爆心地から4km.市街地から一山越えたところなので被害は皆無だったが,キノコ雲は当然見えた,という土地である.あの日の様子を丹念に話してくれたおばあちゃんのことは30年経った今でも鮮明に覚えている.「みんな山を必死で越えてきよってのう,水をください,ゆうんじゃ」「服なんかボロボロで,なんでみんなこんな布切れを身にまとっとるんじゃ,と不思議じゃったのう」・・・
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こんなふうに,小さい頃にあまりに大量の情報に接してしまったし,それらの一つ一つがものすごくインパクトを持ったものだった.それゆえ,戦争や原爆に対する考え方について多様な意見を受け付けられない自分がいることも事実で,これは,ある意味マイナスではないだろうかと悩む.たとえば原発と原爆は切り離して考えなければならない,そんなことは頭では百も承知なのに,しんどくなって口をつぐんでしまう,思考停止な感覚.この感覚,分かる人いるかなあ...