Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!

ちきりん=著,大和書房

ネット上の書評や,各種宣伝では買おうと思わなかったのだけれど,書店で立ち読みして,「1986年に初めて中国に行って,兌換券を見て考えた」という項目に目が止まった.偶然にも私も同じ年に中国に行ったので親しみを感じてしまい,応援の意味で買った.(ちきりんさん,謎の親近感ですみません.)
私は当時12歳.神戸から出ていた鑑真号に乗り,上海,無錫,蘇州をまわった.自由行動ゼロの完全なツアーだったので,買い物も決められた場所(外国人専用の土産物屋「友誼商店」)でする決まりだった.兌換券の存在は私も衝撃を受けた.手にする兌換券が,どれもみなピン札なの.それに対し,お釣りとか,ちょっとした拍子で手にする人民元の汚いこと(「人民幣」という名称で,お札の字が読めないくらいクチャクチャ.そんなのを大事に使っていた).外国人が特別な存在であること,友誼商店の物価は普通の店の数倍高いこと(でも,品物の質は良いんだと思う).不思議な事がいっぱいだった.
上海港の岸壁は薄黒く煤けていた,その岸壁に大きく(どのくらい大きいかというと大人の背丈くらいww)赤い字でスローガンが書いてあり,中国語読めないけど最後は必ず「!」マーク.中国語勉強しようと痛烈に思ったよ(そのスローガンを読みたいがゆえに,というのも動機が不純すぎるが).
燃料が石炭だからだと思うけど,家々の壁が全て煤けていたのも印象に残っている.
おみやげに買った絵葉書の印刷技術も,グラビア印刷のドットが粗くて日本で言うと昭和の初めか!ってレベル.
・・・こんな風に,この本を読んでいると私が旅して感じたことが次々に思い出されて,買って良かったと思う次第.
p.74のコラム「長距離バスの旅」では1999年の2月から3月にかけて行った南米旅行を思い出した.ボリビアからペルーへの,バスでの国境越えは,今思い出しても胸が熱くなる.
国境ではセキュリティチェックのために,すべての荷物を一旦バスから出す必要があった.しかし要は網棚から自力で荷物を下ろすだけ.国をまたぐというのに,近所の買い物に出かけているのと同じノリなのには笑った.
バスで隣になったカナダ人のお兄さんに「スペイン語で国境って何ていうの?」と聞いて”frontare”,「ああ,英語のfrontierね」と.確かにフロンティアという語感がしっくり来る,センチメンタルな感慨を味わった.ペルー側の検問所は石造りの,一部屋しかなさそうな小さな建物で,オキュパシオン?と聞かれてとっさに英語のoccupationを思い出し,職業を聞かれたと思ったのでフランス語のetudeを適当に活用させ”エトゥディエンテ”(学生)と適当に答えた.あとで調べてみると,スペイン語ではestudianteというらしい,微妙に間違っていたwww.こんなのでも余裕で通関.
検問所の部屋には当時の大統領,アルベルト・フジモリの肖像がかかっていた.お陰で日本人はペルーでとてもウケがよかった.(思い返すと,あの政権の時は一番治安が良かったときだった.だから,行こうと思った時に思い切って旅をすることはすごく大事,というちきりんさんの言葉には納得した.「いつか,あとで」と思っていたら政情不安定になっていて断然せざるを得ない,という可能性があるし.)
検問所を一歩出たらとたんに”Cambio, cambio!”と私設両替屋から声をかけられた.ああ,地球を旅してる!と感じる瞬間でもあった.通貨が異なる国に陸路で入ることって,EUができてからは極めて稀になったから,これも今となれば貴重な体験だった.
国境を越えてペルーに入ったら,沿道の家の屋根に目を奪われた.トタンや瓦のものが格段に多くなったからだ.ボリビアでは板の屋根の家がほとんどで,言葉は悪いが掘っ立て小屋みたいなのが多かったから.その違いは素人の私にもハッキリわかった.ペルーはGNPがボリビアの2倍(当時はそれぞれ800ドルと400ドルくらい)で,GNPが違うってこういうことかな?と考えたけど,答えは出なかった.
*****
今は子どもがまだ小さいけれど,彼らがもう少し成長したらイースター島パタゴニアに行きたい!そんな思いを再燃させてもらえて,ああ,私ってやっぱり旅が好きなのかもと気づかせてくれた,そんな本.