Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

おばあちゃん

夫の祖母.
ずっと穏やかに毎日を過ごしていたのだけど,風邪をひいて肺炎になり,救急車で自宅から病院に運ばれて5日間の入院の末,亡くなった.
大正11年生まれ,享年91歳.
あっけなかった….
おばあちゃん,知り合って10年ちょっとだったけど,私に優しくしてくれて,大事にしてくれて本当にありがとう.ゆっくり休んでください.もう,極楽には着いた?(棺に入った時,隙間なくスタンプ(御朱印)が押された御朱印帳も一緒だったから「一発で成仏ですね」ってお寺さんに言われてたね,あれにはみんな笑ったよ)
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小学校(当時は国民学校と言った)の先生をやっていたこともあり,教師同士の見合いで昭和17年に結婚し,商売人の家(魚屋)から寺に嫁いだおばあちゃん.
この世代は皆そうだけれど,大変な人生だったと思う.むしろ,この世代の中では女学校に行き,職業婦人(小学校教師〜保育士,というホワイトカラー層)だったから,まだ楽な方だったかもしれないけれど.

何が,今と決定的に違って大変だったか.うちのおばあちゃんの場合は,以下の2点だろう.
・子どもを産んでも,成人せずに亡くしてしまったこと(二人も).
・家では嫁として生きなければならなかったこと.ほとんど人権なんてありゃしない.
だから,70歳以降に,やっと人生花開いた感じ.自分の意志で好きなことができるようになるまで,それだけかかったってこと.最後まで食欲と物欲は衰えず,頭もはっきりしていたのは,むしろ執念のなせる技なのかもしれないね.
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おばあちゃんの結婚写真はたった一枚きりで,しかも花嫁衣裳ではなく,もんぺ.花婿だったおじいちゃんは国民服にゲートル巻だった.だから,夫と私の結婚式の時に「お色直し代は全額持つからカラードレス着なさい」と言ってくれた.孫の結婚式はパ〜っと派手に,と望んでいたのには,苦笑せざるを得なかった(私達はとても地味にしたかったんだけどねw).

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おばあちゃんは4回出産したが一人は5歳で死亡.もう一人は逆子で死産.成人したのは2人だけ.
5歳で亡くなった男の子は,生まれつき皮膚が弱い子だったらしいが直接の死因は感染症.戦後の混乱期に,皮膚の治療という名の下,親戚のいる札幌に送られた(それも自分には知らされず勝手に,親戚に人さらいのように連れて行かれたらしい).死に目にも会えてない.山形より札幌のほうが食糧事情がずっと悪くて,そこで栄養失調気味で体調を崩して亡くなった,と後から伝えられたって.もう理不尽すぎる!
その子の祥月命日には毎年入念にお参りをしていたね.あのとき,札幌に行かせなければ・・・とよっぽど悔しかったのだろう.
3回めの出産は逆子での死産でがっかりしたって.それは昭和20年代後半のこと.その時代「逆子なら帝王切開」という常識はなくて,赤ちゃんの死と隣合わせの分娩を覚悟しなければならなかった(涙).新生児死亡率は今の20倍くらいだったんじゃないかな.
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嫁は(少なくとも舅姑が生きているうちは),自分の意見など全く聞き入れてもらえない…このことはつい30年前までは当たり前だったそうで.おばあちゃんは,昭和22年,教育体系が新制度に変わっても小学校の先生を続けたかったが,自分の意見は何一つ聞かれず舅姑の一存で勝手に退職届を出されていたと.本人に一言も知らせずに退職届?マジありえないでしょー!そして寺の手伝いをさせられたと.雪の深い中住職(舅)のお供で大八車を引いて檀家さんまわりをしたそうで,お舅さんは割りと温厚だったから楽しいこともあったそうだけれど.
そしてご多分に漏れず嫁いびりは凄まじかったらしい.新聞をひいて豆の皮むきをしていると「なんだ,新聞読みながら仕事してるのか」と文盲の姑から嫌味を言われたとか.近所の人(お嫁さんたち)と,それぞれの家の鍋(←ススで黒くなっている)を一緒に川で洗い,並べて乾かしていたところ,鍋を見ながら姑たちが,「どこの嫁が鍋を一番キレイに洗ったか」と品評会よろしく噂し合ったとか.
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話をうちのおばあちゃんじゃなくて,このへん(山形県置賜地方)のおばあちゃん一般の話にむけるとさらに大変.上の2点に加えて,朝から晩まで働き詰め,という要素がプラスされるのだ.
家にあった94歳女性のご会葬御礼には
「ばあちゃんは朝早くから畑に出てその後家族全員のご飯を作り,蚕の季節には蚕棚に桑を与え.その合間を縫って機を織り,上っ張りを仕立て,それでもいつも笑顔を絶やさず・・・」
とこんな具合.
この他に洗濯もしなければならなかったし,子どもに乳を与えなくてはならなかったはずだ.田畑と養蚕と子育てと家事と,それプラス機織り.家族の着物も手作り…っていつ寝てるんですか?あ・り・え・ね・ー!
だから,私も仕事,寺の嫁,子育て,家事(←あまりやらないけど)と4足くらいわらじを履いているが,この世代の女性に比べると,全く大変じゃない気がするのよね.本当に,今の時代を生きられることに感謝しているよ.