Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

この世界の片隅に

片渕須直=監督,2016年日本
大変染み入る話だった.普通が普通でなくなってゆく戦争.それもだんだんと.すずさんと周作さんが仲良し(泣けた・・・)で「普通に」デートしたりしていたのに,防空壕に入る頻度が増え,そこで夜を明かすことも増え「もう飽きた〜」と晴美ちゃん.
なのに突然の悲劇が襲い,さらに,あの日,8月6日もやってくる.「すずさん,広島に行ったらいけんよ!」私だけじゃなく,映画館の観客みんながそう思っていたことだろう.
小学生時代を広島で過ごし,反戦教育をこれでもかと受けてきた私.原爆ドームの正式名称が「広島県産業奨励館」であることもテストに出るような教育.さらに私の実家は,母の趣味で「暮しの手帖」第一世紀号がほぼ全冊揃っていて(100冊を暗記するほど読んでいた),当然『戦争中の暮しの記録』も10回くらいは読んだ.ついでに,小学校の図書館においてある唯一の漫画が「はだしのゲン」だったおかげで,これも3回は通読した.私だけじゃなくて,字ばっかりの本を読むのはみんな嫌だったから,クラスメートは「はだしのゲン」を5回くらいは通読しているはずだ.
こんなふうに原爆に対する,戦争中の生活に対する,十分すぎる知識のせいで複雑な思いを持ちつつ観たわけだが,結局はずっと泣きっぱなしだった.
5年も住んだ広島だから地名も懐かしい.広島市江波→草津の往復の場面では,太田川放水路はあの当時できていなかったのか,だから潮が引くと歩けたのか,などと納得.実は,呉も家族で行ったことがある.広島東洋カープのファームグラウンドが呉の二河球場だったから,わざわざ二軍の選手を観に行っていたのだ.呉駅に降り立つと駅名アナウンスは「(物を)くれ〜」と聞こえるので,兄と「いやじゃ〜」と返すのが定番のギャグだったことを思い出した.そのくらいリアルで身近な描写だった(わたしの記憶は昭和の終り頃のことなのだが・・・).