Being on the Road ! in Hatena

タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

胸が熱くなる光景

山形生活も5ヶ月になる.高齢化率50%(←数字の根拠なし)の田舎で子どもを見かけると心から安らぐ.お年寄りがうちの子ども達を見て手を合わせていくのも,最初は大げさだなあと思ったけどなんとなく納得するようになった.
さて,とりわけ胸の熱くなる光景は,夕方の,園児バスが帰宅途中の小学生たちを追い抜いていく場面だ.この辺では3歳以降の子どもはほぼ全員,ただ1つの保育園(公立)に通う.バスが保育園児を各家の前で降ろすために停車すると小学生たちは駆け寄っていき,バスの運転手さんに「こんにちはー!」と声をかける.バスの車両も運転手さんも園児時代にお世話になった.バスには,かつて自分たちがそうだったように後輩たちが鈴なりに乗っている.小学生にとってはこの園児たちも皆顔見知り.「あ,○○ちゃんのお姉ちゃんだ!」バスの中も浮き立つ.
毎日の何気ないことだが,こういう光景がこの地で育った子どもたちの胸に日々溜まって,ふるさとの原始記憶として心に還元されるのかと思うとなぜかじんわりしてしまう.「ふるさと」なんて現代ではほとんど死語と思っていたけど,そんなことはない.少なくともここでは,この光景が夫の子供のころも,その前も,脈々と続いていたし,今後も続いていくのだ.
ただ,少子高齢化でこのシステムが機能するのはあと10年と言われている.うちの子たちはどうにか間に合うが,保育園がなくなるかもしれない.それで,このプリミティブな連帯感が受け継がれなくなってしまうと思うとなんとももったいない.この感情はどんなに高いお金を払っても買えないものだから.