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タイトルは沢木耕太郎「深夜特急」トルコ編の「禅とは,途上にあること」という台詞から.

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

新井紀子=著、東洋経済新報社
第1章 MARCHに合格――AIはライバル
第2章 桜散る――シンギュラリティはSF
第3章 教科書が読めない――全国読解力調査
第4章 最悪のシナリオ

ふむ。AIは文字列をインプットデータとして”正解”を出すが、文章の意味を(全く)理解していない。膨大なDBから類似度の最も高いものを正解、とみなしている。一方、ヒトは文字の意味を理解し、文字にないつながりをこれまでの経験から補って、”正解”することができる。ここが大きく違うところ。
しかし、「教科書が読めない子どもたち」は文字の意味を理解していない。これではAIに代替されます、という趣旨。
これって、日本語を丁寧に読んで、内容を理解するということを地道に訓練すればいいだけなのでは。
・・・と思ったりするが、学力上位層(上から4分の1くらい)を除くと、これはきわめて難しいことなのらしい。
著者も書くが、”教科書を正しく読める”ようになる特効薬はないそうだ。日本語をロジカルに書く訓練をすると、必然的に、読む力も付くから、学校教育の中でこの両輪を回していかねばならないということはわかった。
そういう目で教育現場(うちの子たちの学習スタイル)を見てみたが、圧倒的に詰め込み。変革には時間かかりそう。
著者の新井紀子さんは、数学者というが、概念を目に見える形に落とし込んで説明する力が圧倒的に高いと思う。文章が明快。数学というより論理学?数学者も論理学者もこんなにわかりやすく説明できる人、いないと思う。